清水ミチコさんの登場。 ( No.91 ) |
- 日時: 2021/09/10 09:48
- 名前: ギーガ
- 参照: https://www.youtube.com/watch?v=qF5fcNCv0WY
- 1986年に教授のサンストが終わってちょっと経ってのタイミングで、
87年頃から世に出てきた感じ。
大の矢野顕子ファンで、 「矢野顕子になろう!」として 独学でピアノ演奏を切磋琢磨してきた清水ミチコさん。
彼女を通してわかったことも多いですね。
アルバムも教授のMIDIから出ていましたから アッコちゃんのお墨付き感もデビューから出ていました。
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清水ミチコさん2。 ( No.92 ) |
- 日時: 2021/09/11 12:55
- 名前: ギーガ
- 参照: https://www.youtube.com/watch?v=SZl_YpNQWek
- 清水ミチコさんが敵側の人間じゃなくて
つくづく良かったなと(笑)
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アッコちゃんが語る、プロを悩ます曲。 ( No.93 ) |
- 日時: 2021/09/12 13:41
- 名前: ギーガ
- 参照: https://www.youtube.com/watch?v=m6Jn83SjAjI
- わかりやすいご説明がありがたい。
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アッコちゃんが演奏しているパートのコピー。 ( No.94 ) |
- 日時: 2021/09/13 12:32
- 名前: ギーガ
- 参照: https://www.youtube.com/watch?v=WLNONB09P8k
- 『公的抑圧』に収録されている「中国女」のロンドン・ヴェニュー公演(1979年10月16日)のバージョンで、
アッコちゃんが演奏しているキーボード・パートのコピーです。
私は、「中国女」のBでアッコちゃんが弾いている、 震えながら沸き立つような旋律が大好きでここばっかり聴いてきて ずっとMC8でタンスが奏でているものと思っていました。
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在広東少年(ざいかんとんしょうねん)。 ( No.95 ) |
- 日時: 2021/09/14 09:40
- 名前: ギーガ
- 参照: https://www.youtube.com/watch?v=fmOwg1XelDc
- NHK-FMで1981年1月15日にオンエアされた、YMO Live in LONDON 1980。
当時小6でしたが友達のお兄さんにエアチェックのテープを聴かせてもらい、
インスト中心と思っていたイエロー・マジック・オーケストラで まさかの女性が、頭のネジが飛んじゃったような、弾けた、 日本語と幼児語のような意味不明な言葉で唄う歌い方に 衝撃を受けました。
なんじゃこれはと。
で。笑いが込み上げてきちゃう。
マネして歌いたくなっちゃう。♪チュワチュチュ!
「真のエンターテイメントはギャグすれすれである(by山下達郎)」という好例。
以来、大好きです!(他にこんな曲ないし)
あと、ユキヒロさんの思わず足踏みしたくなるドタドタ・ドラムと調子っぱずれのようなシンセドラム、 大村憲司さんのギュワンギュワンいってるギターが最高にカッコイイ〜!
このナンバーはライブバンドとしてのYMOの、 また違った一面を見せてくれましたね。
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在中国的少年。 ( No.96 ) |
- 日時: 2021/09/15 10:23
- 名前: ギーガ
- 参照: https://www.youtube.com/watch?v=CEvv1wrWn8c
- 私見では、「在広東少年」のオマージュ。
ローザ・ルクセンブルクは、この曲で1984年、NHK主催のコンクールで審査員のアッコちゃん、細野さんに絶賛され見事金賞を受賞。
そして、清水ミチコさんのファーストアルベムが出た前年の1986年、清水さんと同じく教授のミディからレコードデビューしました。
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教授、「在広東少年」を語る。 ( No.97 ) |
- 日時: 2021/09/16 13:55
- 名前: ギーガ
- 参照: https://www.1101.com/kyoju/10.html
- 以前にもご紹介させていただいた、
2006年の糸井重里さんの『ほぼ日』の対談です。
どのように「在広東少年」が形作られていったかがわかる 貴重なものです。
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リオの「バナナ・スプリット」。 ( No.98 ) |
- 日時: 2021/09/17 09:45
- 名前: ギーガ
- 参照: https://www.youtube.com/watch?v=bsqLi9LfiwM
- これも以前にお話ししたことです。
この曲をヒントに、「在広東少年」の種が作られたのではないか、 と仮定して話をすすめます。(間違ってたらスミマセン!) ♪おーまえは ほーほーえむ わたしに むーかって ほーほーえむ
ポルトガル出身でベルギーからデビューした 「バナナ・スプリット(いわゆるパフェみたいなデザートのこと)」が 収録されている、Lioのファーストアルバム『Lio(邦題は美少女リオ)』は ベルギーのテクノユニット・テレックスのメンバーがプロデュースしています。 1979年1月リリース。
アルバムを聴いていると、 1979年3月から5月末にかけて制作されたYMOの『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』で 似たようなサウンドがあることがわかります。
具体的には「インソムニア」「アブソリュート・エゴ・ダンス」においてです。
また、1979年6月から制作に入ったシーナ&ロケッツの「ユー・メイ・ドリーム」のサウンドにも このアルバムからの影響が感じられます。(まったくの偶然、あるいは私の耳がおかしかったらスミマセン)
以上から総合的に判断すると。
細野さんがアッコちゃんに「バナナ・スプリット」を聴かせて、
YMOのライブレパートリーを増やしたいし アッコちゃんがフィーチャーされる曲にしたい。 この「バナナ・スプリット」のようなタイプの曲を作って
とリクエストしたかも、 と思っています。
ちょっとあとの話になりますが サンディーさんのファーストアルバムを作るときに サンディーさんは当時世界的に大ヒットしていたジャネット・ケイの「シリ―・ゲームス」(1979年)をカバーしたいと 思っていましたが、アルバムプロデューサーである細野さんから、それは(いま大流行している最中だから)駄目だよとなり、 「ここは、ユキヒロくんに書いてもらおう」と、ユキヒロさんに「シリ―・ゲームス」みたいなタイプの曲を作ってとリクエストし それを細野さんがアレンジやダブのサウンドを作って、 サンディー版「ドリップ・ドライ・アイズ」が生まれた、という事があったりしました。(「きっとうまくいく4」コメントNo.99のリンク先参照)
また、YMO『BGM』の制作時のこと。教授に「千のナイフ」のタイプの曲を作って、と細野さんが具体的な曲をあげて、 作曲をうながしたという例があります。(結果作られず、千のナイフそのままとなりました)
このように「在広東少年」のキッカケも細野さんがプロデューサーの立場から全体を見渡して可能性を広めておく為に アッコちゃんを促したのではないか、と考えている次第です。具体的な曲名を挙げる方法で。
まあ、Lioの「バナナ・スプリット」は世界的にヒットしましたから アッコちゃんは、細野さん抜きに、 聴いていたことも十分考えられますけどね(笑)
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リオ「恋はAmiAmi」。 ( No.99 ) |
- 日時: 2021/09/18 12:13
- 名前: ギーガ
- 参照: https://www.youtube.com/watch?v=X8i_7eL11k0
- もうすぐこのスレッドのコメント数も100になり
「過去スレッド」に自動的に移ってしまうので YMOとは直接関係なくなりますが Lioの曲紹介でもします。
この曲「AMICALEMENT VOTRE アミカルマン・ヴォトル 直訳:あなたの友達より」は、 ファーストアルバムからの3枚目のシングル。きらびやかなテクノポップです。
当時アイドルの倉田まり子さんが日本語カバー(1981年5月リリース)してました。 YOU TUBEで観ることが出来ます。
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リオ「Amoureux Solitaires」。 ( No.100 ) |
- 日時: 2021/09/19 09:42
- 名前: ギーガ
- 参照: https://www.youtube.com/watch?v=GX6YfT1mM9w
- 「アムルー・ソリテール 英題 Lonly Lovers 直訳:孤独な恋人たち」は
ファースト・アルバムからの2枚目のシングル(1980年)です。
どれも大好きなテクノポップです。
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