リオ「バナナ・スプリット」のインスト。 ( No.1 ) |
- 日時: 2021/09/19 09:58
- 名前: ギーガ
- ボーカルが入っていないので、
シンセドラムなどサウンドがわかりやすいです。
興味深いことに、こういうサウンドを作った、 テレックスのダン・ラックスマンとマルク・ムーラン(2008年逝去)は アッコちゃんと同じように、実はジャズ畑出身の人だったのです。
ジャズの人が、新しいポップミュージックをつくろうとしたと。
79年頃といえば「クロスオーヴァー」というジャンルの垣根を越えた異種交配音楽の模索が 試みられた動きがありましたね。「Kylyn」もそうでしたね。
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おまえはほほえむ 私にむかってほほえむ ( No.2 ) |
- 日時: 2021/09/21 12:25
- 名前: ギーガ
- 参照: https://kodainote.hatenablog.jp/entry/2018/09/24/094135
- 当時のYMOのライブ・レパートリーはインストか英語詞でしたから
唯一の日本語詞である「KANG TONG BOY」はそれだけでインパクトがありました。
しかも女性ボーカルだったし。凄くユニークな歌い方だったし。 他の人は感情を殺したように演奏しているのに、ノリノリではじけちゃってるし(笑)
でも。
聴いていて、言葉は平易でだいたいわかるのだけれど 何を言いたいのか、意味がまったくわからなかったという(笑)
まるで「日本語だから判ると思っていたら大間違いだよキミ」と YMOにはまるで煙に巻かれたようでしたね。
中学に入り友達とこの詞は一体なにをいっているのか話し合い 高校でもバンドをやっている友達とどういう状況を歌っているのか語り合い 大学でも詞の解釈に関して永年の自説を披露しあい、侃侃諤諤の議論を交えてきました。
矢野顕子は天才だから、天才のいってることはわからん! と初めから投げてる奴にも出会いました。
そんなこんなで、現在53歳になる私や友人らの解釈をここで披露・・・
・・するのは野暮ってもんで(笑)
私もこれだけ40年以上もなんやかんやこの詞を巡って楽しんで参りましたので、
Aメロの詞
サビの詞
そしてタイトル
これらが響きあうことで(by夏井いつき先生)生まれる情感を感じていただき、 その時その時、味わえばいい、という境地に達しました(笑)
私も一時、Aは「禅問答みたいだな」と考えていたことがあり 同じような解釈を書かれていたブログを発見しましたので ご紹介させていただきます。多面的に解釈する楽しみの一助になれば。
(ブログの方も書かれていますが、たまたま似てたのだろうと現在は思っています)
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在広東少年2。 ( No.3 ) |
- 日時: 2021/09/23 18:34
- 名前: ギーガ
- 楽曲が出来て間もない、最も初期の、貴重な音源と思われます。お楽しみください。
※あくまで個人的な推測ですが、アッコちゃんがこの曲の種を作曲し、みんなで組み立てていったのは、 YMOが『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』録音中であり、 おそらくこのライブの直前リハーサルにおいての、1979年4月20日ころと思われます。
テンポがゆったりめで詞が違っていて・・・というか 構成を間違えちゃったり、詞も飛んじゃってスキャットで乗り切ったのでしょう(笑) ライブならでは。微笑ましいですね。
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在広東少年3。 ( No.4 ) |
- 日時: 2021/09/24 09:44
- 名前: ギーガ
- 「在広東少年2」が最もゆったりしたテイクなら
これはおそらく、最も速いものです。
この他に、
ギターが、渡辺香津美さん演奏のもの(Kilynやフェイカーホリック)と、大村憲司さんのもの(アッコちゃんのソロ、YMO)があり ドラムが村上ポンタ秀一さんのもの(KilynとKilynの再結成)と、ユキヒロさんのものがあります。
現在、YOU TUBEにありますので比較して 楽しむのも一興です!
ちなみに、私が一番好きなのは最初にご紹介したNHK-FMで1981年1月15日にオンエアされた「YMO Live in LONDON 1980」のバージョンです。 (80年10月16日、ロンドン/ハマースミス・オデオン公演のもの。)
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広東少年がいた ( No.5 ) |
- 日時: 2021/09/25 12:24
- 名前: ギーガ
- 1986年の教授のサンストで
「矢野顕子ベストテン」という回があって。
(第○位「在広東少年」が流れて)
矢野「・・この曲を作ったとき「広東少年がいた」というタイトルを付けたの。
でもどうしても中国語にしたくって。 それでレコード会社に語学に堪能な人間がいて、 その方に「中国語にしたいんだけど」って頼んで 「在広東少年。これでいいと思うんだけどなあ」って、その場でつけてもらったんだけど。 ・・・本当に合ってたのかしらね(笑) だんだん不安になってきちゃった(笑)
教授「(笑)」
矢野「(笑)中国語に精通しているリスナーの方、これで正しいか、ぜひお便りください(笑)」
教授「(笑)・・・ちなみに、それはどの方で?」
矢野「Kilynを担当していた○○さん・・」
教授「ははア〜。・・・確かあの方は外語大の、中国語学科ご卒業されていましたよ」
矢野「じゃあ、大丈夫ね(笑)問題がすぐ解決しました(笑)」
以上、私の記憶なので、だいたい。
まあ、お二人のやりとりを聴いていて笑っちゃいましたね。 こっちは「在広東少年」の意味にずっと想いを馳せてきたのに 6、7年経ってこれかいな、と。 その間に私は小学6→中学→高校(笑)
でも漢文の返り点を打って「広東にいた少年」と考えていたので 「広東少年がいた」と本当のタイトルが作者の肉声で聴けて嬉しかったですね。
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いつか王子様が。 ( No.6 ) |
- 日時: 2021/09/26 13:13
- 名前: ギーガ
- 当時、友達からもらったエアチェックのテープにはいっていました。
この情感を排した ココキッ、コココッキッ、ココキッ、コココッキッ がなんとも気持ちよくって。
一方、アッコちゃんの歌い方は様々な表情を見せてくれ 詞に身震いするように共感し、居場所を見つけ、救われた気がしたものです。
いまでも愛聴しております! 名曲。
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丘を越えて。 ( No.7 ) |
- 日時: 2021/09/27 12:32
- 名前: ギーガ
- アッコちゃんは55年生まれですから、
1976年当時21歳の歌声です。
ファーストアルバム『ジャパニーズ・ガール』収録。 (アルバムタイトルは、この曲でデュエットしているあがた森魚の『日本少年』に敬意を表してのアンサー)
1931年リリースされた藤山一郎さんの代表曲のカバーです。 (作詞:島田芳文、作曲:古賀政男)
2015年、トヨタのCMで木村拓哉さんはじめ、 アッコちゃんや細野さんが登場して歌ってましたが
1984年のトヨタのCMでも藤山さんのオリジナルが使われてました。
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ホーハイ節。 ( No.8 ) |
- 日時: 2021/09/28 11:37
- 名前: ギーガ
- 同じく76年リリースの、ファーストアルバム『ジャパニーズ・ガール』収録。
青森県の民謡「ホーハイ節」をアッコちゃん流にカバーしています。
1989年、NHK-FMで大瀧詠一さんの解説による美空ひばりさんの追悼特集がありました。
追分とジャズを見事に融合させたひばりさんの「リンゴ追分」と 津軽民謡とジャズを融合させたアッコちゃんのこの「ホーハイ節」を連続でかけ このようなアプローチが音楽を面白くさせていくだろうと賛辞をおっしゃってました。
人間関係で直接の接点がなかったアッコちゃんが、大瀧さんのやってる音楽への言及は見たこともきいたこともなかったのですが 大瀧さんが逝去されてから、ライブで大瀧さんの曲(「水彩画の町」「乱れ髪」「あつさのせい」だから現時点ではファーストから)をたびたび演奏するようになりました。感慨深いものです。 ※そこから思うに、アッコちゃんて、初期衝動というか、原初的なものに惹かれるのよね。センサーが働くのではないかと。
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喜納昌吉&チャンプルーズ「ハイサイおじさん」 ( No.9 ) |
- 日時: 2021/09/29 13:35
- 名前: ギーガ
- 1981年から始まったビートたけしのオールナイトニッポンで
エンディングテーマでかかり大好きでした。
そして上京して、六本木WAVEで このジャケットのファーストアルバム(77年リリース)に遭遇。レコードが飾ってありました。
クレジットの中に矢野誠、矢野顕子(当時夫妻)の文字を見つけたときは 「そうだったのかぁ・・」と心底驚いたものです!
ちなみに。 矢野誠さんも細野さんが描いていた「イエロー・マジック・オーケストラ構想」の人選に当初は、はいっていました。横尾忠則さん佐藤博さん林立夫さんらと共に。
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