All Together Nowでの「シンガプーラ」。 ( No.20 ) |
- 日時: 2022/01/25 17:21
- 名前: ギーガ
- わたしはこのときの「シンガプーラ」(加藤和彦さん初ソロアルバム収録曲)が大好きです。
実は、ひとふし歌った後に異国情緒なメロディが入りますが これは「シンガプーラ」のオリジナルにはありません。 この教授のアレンジが 「フラッシュバック」みたいだったから 好きなのかもしれません(笑)
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ロネッツ「ビー・マイ・ベイビー」。 ( No.21 ) |
- 日時: 2022/01/27 12:48
- 名前: ギーガ
- 60年代に活躍したガールグループ、ロネッツの
リードシンガー、ヴェロニカさんこと、ロニー・スペクターさんが1月12日、ご逝去されました。
故人を偲んで、曲をご紹介したいと思います。
ヴェロニカの歌声といったら まず、1963年の曲でありますところの、 The Ronettes「Be My Baby」(邦題:私のベイビー)をご紹介するのが筋ってもんでしょう。
わたしの話はこの後、この曲が日本人アーティストに与えた多大なる影響の考察になっていきます。
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ビーチボーイズ「ドント・ウォーリー・ベイビー」。 ( No.22 ) |
- 日時: 2022/01/28 14:04
- 名前: ギーガ
- The Beach Boys の「Don't Worry Baby」、というより
いまや、ビーチボーイズの中心的メンバーであるところの “ブライアン・ウィルソンの「Don't Worry Baby」”といったほうがいいかもしれません。 (邦題:気にしないで) 1964年 リリース。
動画の中、中央で、ベースを演奏しながら歌っている 背が高く甘いマスクの男がブライアン、その人であります。
すでにビーチボーイズで1961年からヒットを次々と飛ばしていた彼は 1963年(42年生まれなので当時21歳)、 カーラジオから流れたロネッツの新曲「Be My Baby」を聴いて驚嘆します。
すぐにシングル盤を購入し(10枚買ったそうです。知人に配る為もあったのでしょうが)、 ピアノで、楽器のパートごとに分析していったそうです。
そして、ロネッツ用に「Don't Worry Baby」に次ぐシングルとして オマージュ曲であるこの「Don't Worry Baby」を書くのですが ロネッツのプロデューサーである、フィル・スペクターに断られ、 翌年、ビーチボーイズで、バンド・サウンドでリリースした
・・ということはよく知られたエピソードですよね。
歌詞も「Be My Baby」は女の子側から、 「Don't Worry Baby」はそれのアンサーソングのような作りになっています。
ちなみに私は1989年にセンチュリーレコードから出た 『P.S I LOVE YOU』というプロデューサー、フィル・スペクターの諸作品を集めた安いCDで ※P.Sは追伸とPhill Spectorのイニシャルとのダブル・ミーニング。 初めてロネッツの「Be My Baby」を聴きました(68年生まれなので奇しくも同じ21歳)。
当時の私には正直に言って楽曲として単純、普通〜って感じで。
どこが、誰もが認めるあの天才ブライアン・ウィルソンに衝撃を与えたのか、 皆目見当が付きませんでしたね。
どう考えても「Be My Baby」より「Don't Worry Baby」の方が断然すごいっしょ。
やっぱり、リアルタイムだからこその衝撃、かなと思っております。
ところが、後年になってもブライアンいわく、 「結局、ぼくには「Be My Baby」を越える曲が作れなかったんだよ」と なんと謙虚な、ビックリの発言を繰り返ししていて(YOU TUBEに動画があります)、
思わずそんなことないですよ〜となぐさめの声をかけたくなってしまいますが もはや凡人にはわからない、天才にしか聴こえない、 何かがこの曲にあるのだろう、と諦めております(笑)
さて。1999年(録音は1998年)ラモーンズの ジョーイ・ラモーンがプロデューサーをつとめた ヴェロニカさん、ことロニー・スペクターさんが歌う「Don't Worry Baby」というのがあります。
YOU TUBEには、ブライアンがロニーの「ドント・ウォーリー・ベイビー」を初めて聴く瞬間がアップされてます。 「ほんとに?? 信じられない!!」って言って子供みたいに笑ってるんですよ(泣)
また、ブライアン・ウィルソンの歌う「Be My Baby」というのも YOU TUBEにありますので、興味のある方は聴いてみてください。
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ビリー・ジョエル「さよならハリウッド」。 ( No.23 ) |
- 日時: 2022/01/29 12:49
- 名前: ギーガ
- もう1曲、アメリカ本土で「Be My Baby」に影響を受けた曲を。
Billy Joel の1976年リリースされたアルバム『ニューヨーク物語 原題: Turnstiles』収録の 「Say Goodbye To Hollywood」。
一般的には1981年にリリースされたライブ版の方が人気がありますが ここでは「Be My Baby」 のオマージュであることがよくわかる、 スタジオ録音のオリジナル版を聴いていただきましょう。
Billy Joelは1949年生まれですので、新曲「Be My Baby」を聴いたときは14歳。日本でいえば中2にあたります。
Wikiにも「Be My Baby」に影響を受けた曲として「Don't Worry Baby」と並んで書かれていますが 私には楽曲そのものは余り感じなく、どちらかとういうと、ドラムとピアノ等のサウンドと なにより“ロニー・スぺクターの歌い方”の影響を感じますね。♪ベイべエ〜 ♪Wow HOHOHOHO〜
ただ。途中で転調して展開する解放感があるところは、 いかのもビリー・ジョエルって感じにしています。
翌1977年にはロニー・スペクター本人がこの曲をカバーしております。 こちらもYOU TUBEにありますので、ぜひ聴いてみてください。 ビリー・ジョエルが作ったメロディをロニーが唄うことで、ビリー・ジョエルが「Be My Baby」でもロニーの歌に注目していたことがよ〜くわかります。
また、YOU TUBEにはビリー・ジョエルが「Be My Baby」と「Don't Worry Baby」を歌っている動画がありますので興味がある方はどうぞ。
ここまでのエピソードを踏まえて、明日からは日本人アーティストへの影響の話をしていきたいと思います。
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シーナ&ザ・ロケット「ユー・メイ・ドリーム」。 ( No.24 ) |
- 日時: 2022/01/30 12:23
- 名前: ギーガ
- 戦後に生まれた日本における、団塊の世代のミュージシャンを挙げますと
加藤和彦 1947年3月21日生 細野晴臣 1947年7月9日生 鮎川誠 1948年5月2日生 大滝詠一 1948年7月28日生 井上陽水 1948年8月30日生 松本隆 1949年7月16日生 (敬称略)
1963年アメリカで「Be My Baby」がリリースされたときは、だいたい高1〜中2の多感なころ。ちなみに、翌64年にビートルズ。
そのころの、洋楽の日本盤は日本人好みと思われた曲がレコード会社によってセレクトされたり (逆にアメリカ本国ではヒットしていないのに日本でのみヒットしたケースもありました。ロイ・オービソンのカムバックトゥミーとか)、 訳詞ポップスで日本語の日本人歌手で唄われたケースが多く アメリカの情報が入るにはタイムラグがありました。
そこで音楽好きはだいたい、米軍基地から流れる軍人とその家族用のラジオ番組で、 いまアメリカのチャートを賑わしている曲を聴いていたという方が多いですね。 で、そうやって積極的に聴いていた洋楽好きが、ミュージシャンになったと。
「YOU MAY DREAM」を聴いたとき大滝詠一さんは やはり「ロネッツみたいだな」と思ったそうです。 この曲はYMOのアルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』が発売された、1979年の12月25日リリースで、細野さんのアレンジは機械仕掛けの「Baby My Baby」って感じで。 スパニッシュ・カスタネットはタンスで鳴らしたと松武さんがおっしゃってました。 (ちなみにレコードでのドラムは、シナロケのメンバーではなくて、ユキヒロさんが叩いています)
YOUTUBEに鮎川さんが「Be My Baby」を歌っている動画があります。興味がある方はどうぞ。
大滝さんは岩手で、青森三沢の米軍基地から流れる放送で、一方の、鮎川さん(同じ1948年生まれ)は九州の板付の米軍基地から流れる放送で 同じころ耳にして衝撃を受けたと言う訳です。中3ですね。 あと、お二人とも母子家庭で一人っ子という共通項があります。
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井上陽水奥田民生「AとB」。 ( No.25 ) |
- 日時: 2022/01/31 13:41
- 名前: ギーガ
- 参照: https://www.amazon.co.jp/A%E3%81%A8B/dp/B01BDDBLY6
- 鮎川さんと同じ九州のご出身で同じ1948年生まれの井上陽水さん。
井上陽水奥田民生のアルバム『ショッピング』1997年に収録された曲です。 YOU TUBEになかったので、試聴で聴いていただきましょう。 ・・・でも、これで充分ですよね(笑)
この曲を聴いたとき、なんか「Be My Baby」ぽさがある曲が最近多いなと思って数えてみたら、 20曲ぐらいあったのを覚えています(笑) そこからさらに25年経ってますからね(笑)
今回の考察では厳選してご紹介していきます。
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須藤薫「つのる想い」。 ( No.26 ) |
- 日時: 2022/02/01 12:21
- 名前: ギーガ
- 1989年の須藤薫さんのアルバム『Tender Love』収録。
シングルカットもされています。
作詞と編曲はピチカート・ファイヴの小西康陽さん(1959年札幌生まれ)。 加藤和彦さん細野さんが1947年生まれですから、ひと回り違いと。 (1963年には4才ですから当然リアルタイムではない)
「Be My Baby」のみならず「Don't Worry Baby」の見事なオマージュでもあることがお分かりかと思います。 (歌い出しが「Don't Worry Baby」で、カウンターで入ってくるストリングスが「Be My Baby」という。にくいねコノ)
須藤さんの歌声もロニー・スペクターに似ていますね。すこしザラっとしていて。 “つのる想い”という感じが曲想とともに、よく表現されていますよね。
やはり、こういうガッツのあるオケだとそれに負けない歌声でないといけないし、 両者が拮抗することによってより世界観が広がるというね。
実は私は2008年に発売された『音壁JAPAN』というコンピレーション・CDでこの曲を知りました。
J-ポップで、「Be My Baby」を作ったプロデューサー、フィル・スペクターの“ウォール・オブ・サウンド(最近では音壁と言われるようになった)”に 影響を受けた曲を集めた好企画盤です。
興味がある方はぜひお買い求めください。 ライナーも充実していて勉強になります!
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真島昌利「夜空の星くず」。 ( No.27 ) |
- 日時: 2022/02/02 12:31
- 名前: ギーガ
- ブルーハーツ(1985〜1995)の、ギター・真島昌利さん(1962年生まれ ブルーハーツの代表曲「トレイン・トレイン」「青空」等は彼の作詞作曲)が
バンドに在籍しつつ、1991年に出したソロ・シングルの曲です。
ラジオか有線から新曲ということで聴いたんですが、 ブルーハーツとは全然違う曲調に驚きましたね〜。
しかも1991年に「Be My Baby」とは!
で。上でご紹介した須藤薫さんの「つのる想い」1989年。
この曲を作曲した「篠原太郎」さんのことを話していませんでしたが、 ブルーハーツ結成前の真島さんとザ・ブレイカーズというバンドを組んでいた方だったのです。
「つのる想い」の歌い出しが「Dont't Worry Baby」風で、「Be My Baby」のところ、 この「夜空の星くず」では歌い出しがロネッツと同じガール・グループ、 シレルズの「Will You Still Love Me tomorrow」なのが興味深く思っています。ようするに同じ構造の曲を作ってるんですよね。
篠原さんのことはよく存じ上げないのですが ブルーハーツの甲本ヒロトさんと真島さんとは、ラモーンズとシナロケをリスペクトしていました。 ※ブルーハーツはシナロケの下北沢にあった事務所に所属。
そのラモーンズとシナロケがリスペクトしていた「ロネッツ」!という位置づけだったのかもしれません。
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新田恵利「冬のオペラグラス」。 ( No.28 ) |
- 日時: 2022/02/03 12:55
- 名前: ギーガ
- 1986年1月1日発売。
イントロで聴かれるオルガンっぽい音色のシンセのメロディを頭の中で取ってもらうと あらためて「Be My Baby」タイプの曲だったことに気づかれる事と思います。
リズムも、「タン、タタンっ タン、タタンっ」ですしね!
Bパートからの“はやる心”を表したようなリズムへの転換は 「夜空の星くず」もそうでしたね。
耳を楽しませる様々な仕掛けがわんさかとあって、 「プロの仕事だな〜」とあらためて感心してしまいます。
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矢野顕子「あしたこそ、あなた」。 ( No.29 ) |
- 日時: 2022/02/04 12:59
- 名前: ギーガ
- 「Be My Baby」の影響についての話の途中ですが
本日、2月4日は山下達郎さんのお誕生日です。 69歳(1953年生)になられました。 1952年生まれの教授やユキヒロさんとは「1歳違い」という事になります。
矢野顕子「あしたこそ、あなた」は1981年11月25日リリースで、 昨年末40周年にもかかわらずすっかり忘れてましたので、 達郎さんのお誕生日だという、この機会に取り上げさせていただきました。
当時教授がサウンドストリートで何回かかけたので知った方、 または、角川書店のTVCMやラジオCMでもかかったので知ってる方も多いんじゃないでしょうか。 (いまYOU TUBEにある薬師丸ひろ子さんが桃太郎の格好をしているCMで確認すると 最後のナレーションもアッコちゃんでした)
演奏はYMO + リズムギターとコーラスが山下達郎さんだったんですよね! 珍しい。
もっと言えば、1981年の春のCMソング「春咲小紅」では「YMO+大村憲司さん」で 同じ81年の秋の、同じくCMソングだったこの曲は「YMO+山下達郎さん」だった というのが興味深いところです。
曲の後半、アッコちゃんと達郎さんが大好きなアソシエーションのコーラスで 展開してるのも楽しいですね。ユキヒロさんのドラムもカッコイイ〜。
余談。
以前に山下達郎さんのラジオ番組で、フィル・スペクターのウォール・オブ・サウンドを作る バンドセッションのかなめだった人物、ドラマーのハル・ブレインの特集がありまして、
そのときに達郎さんは「ハル・ブレイン特集なら、この曲から始めるのが筋」とおっしゃり ロネッツの「Be My Baby」をかけたんですね(本稿も同じはじまり方にさせていただきました)。
で、このハル・ブレイン特集を聴いていたのが桑田佳祐さん(1956年生まれ)。
桑田さんは制作中(「あなただけを」だったかな)の曲のドラム演奏者に、 このハル・ブレイン特集のエアチェックを聴かせ、レコーディングに臨んだのでした。
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