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きっとうまくいく8
日時: 2021/12/30 13:08
名前: ギーガ
参照: http://www.mryt.com/forum/main/read.cgi?no=30547

2021年12月30日。
「7」から、こちらに移ります。

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フェラ・クティ。 ( No.50 )
日時: 2022/02/25 11:49
名前: ギーガ

Fela Kuti (1938年ー1997年)はナイジェリアの首都“ラゴス”出身の黒人ミュージシャン。
サックス、ピアノ、ヴォーカルと多彩な技術を誇るマルチミュージシャンであり、
黒人解放運動家という政治的な側面がありました。
1968年アメリカツアーに向けた記者会見上で、自らの音楽を「アフロビート」と名付けています。


まず、教授の「ライオット・イン・ラゴス(直訳:ラゴスの暴動)」は題名からして
ラゴス出身のFela Kutiを想起させられます。 ※「暴動」というタイトルは70年代多かったです。スライ&ファミリーストーンとかザ・クラッシュとか。

Fela Kutiの楽曲はお聴きのようなリズム主体のワン・コード曲。聴いてるとトランス状態になるという(笑)
6分くらいすぎるとやっと歌が出てきます。

教授はおそらくプロになる前からずっとFela Kutiを聴き込んでいて自家薬籠中のもの。
「ライオット・イン・ラゴス」のインスピレーションは具体的にどの曲からというより
Fela Kuti全体からというしかないのかな、と思います。

一応例を挙げておくと。
1976年リリースのこの「イクスペンシヴ・シット」の最初から1:30あたりまでの始まり方が
構造的に近いかな、と。

ただ「ライオット・イン・ラゴス」にはミニマルな、2つの印象的なエスニックメロディがあります。
これにはさすがに「ザ・教授」的なひらめきを感じるのです(私の憧れ)。

たしか、81〜83年のサウンドストリート(要するに私が中学のとき)で
Fela Kutiの曲を教授はかけましたが、この曲だったかどうかは覚えていません。
ジェームス・ブラウン「セックス・マシーン」。 ( No.51 )
日時: 2022/02/26 12:50
名前: ギーガ

細野さんが1986年にカバーした、James Brown(1933−2006)「Sex Machine」
も(ほぼ)ワンコード曲でした。オリジナルは1970年リリース。

※フレンズ・オブ・アース(Friends of Earth、F.O.E)1986年5月1日リリース。


ほかに、細野さんは1976年の中華街ライブで「ハリケーン・ドロシー」を演奏したときも
前奏で「ハリケーン・ドロシー」の歌詞にでてくる、ラヴェルの「ボレロ」をやってるんですが ♪ボレロッ ボレロッ ララルーラ

ラヴェルの「ボレロ」もワンコード曲(厳密には、最後に崩れるところは変わる)なんですよね。



YMO関係で「ワンコード曲」というと、こんなところじゃないでしょうか。
・・・フム。『テクノドン』で細野さんが作った「OK」。セックスマシーンに乗せて途中まで唱えますね(笑)
日本一ファンキーな吹奏楽部。 ( No.52 )
日時: 2022/02/27 10:11
名前: ギーガ
参照: https://www.youtube.com/watch?v=sOYyGwim2oE

これはおまけ。

以前に、♪ライディ〜ンッ! と、散開ライブ版の掛け声が入る吹奏楽部をご紹介しました。今回は・・・

細野さんの1986年のセックスマシーンのカバーでは
コール&レスポンスのところで女子高生らしき歓声が上がりますが

まさか、ホンマモンをアレンジに取り入れる顧問の先生がいたとは(笑)。


“真のエンターテイメントはギャグすれすれ” 

by山下達郎(達郎さんはジェームス・ブラウンの大ファンなんです)


この福井県の武生(たけふ)商業高校の吹奏楽部は昨年2021年に
『究極の吹奏楽〜FUNKY植田薫&武商吹部 編』というCDも出しましたので
興味がある方はどうぞ!!!

デニス・ボーヴェル、インタビュー。 ( No.53 )
日時: 2022/02/28 10:51
名前: ギーガ
参照: https://www.110107.com/s/oto/page/B-2UNIT_interview?ima=5728

ダブDUBの手法で教授の「ライオット・イン・ラゴス」のエンジニアに起用された
デニス・ボーヴェルのインタビューです。
とはいえ、彼はコンポーザー、ベースやギター等操るマルチプレイヤー、プロデューサーでもあります。

お手持ちのYMO写真集『OMIYAGE』の教授のレコード棚にある
世界初の女性のみのパンクロックバンド、ザ・スリッツ『CUT』(79年)とかザ・ポップ・グループ『Y(最後の警告)』(79年)がデニス・ボーヴェルのプロデュース作品。

教授はこの頃、彼のプロダクトをチェックしていて、オファーしたことがわかります。

で『B-2UNIT』80年夏のロンドン・レコーディングのとき、ザ・スリッツの彼女たち3人がスタジオに毎日見学に来ていたという(教授の記憶ではセッションはしていません。邪魔された、と確かサンストの初回で言っていました)。

ちなみに、インタビュー中にある、デニス・ボーヴェルがファラ・クティのアルバムを制作したというのは「83年」のことで
『B-2UNIT』の後、ということになります。
ジャネット・ケイ「シリー・ゲーム」(79年)。 ( No.54 )
日時: 2022/03/01 10:44
名前: ギーガ

話はちょっと前に戻って。
1979年に、そのデニス・ボーヴェルが作詞作曲プロデュースしたJanet Kayの「Silly Games」。(ここから話は教授を離れて同じ頃の細野&ユキヒロ組へと移ります。)

イギリスをはじめとするヨーロッパで軒並み大ヒットとなり、ラバーズ・ロックの代表曲となりました。
この曲でジャネット・ケイは「レゲエで1位を記録した最初の英国ブラック女性」としてギネスにも載っています。
サンディー「ドリップ・ドライ・アイズ」(80年)。 ( No.55 )
日時: 2022/03/02 12:45
名前: ギーガ

デニス・ボーヴェルのインタビューでユキヒロさんのことを
「世界最高のドラマーのひとり」と評していましたよね。ファンとして今更ながらも何だか誇らしいです。

さて。この曲は1980年7月21日にリリースされた、サンディーさんの初ソロアルバム『イーティン・プレジャー』に収録されています。

作詞は初期YMOでお馴染みクリス・モスデル、作曲・編曲、ドラムの演奏はユキヒロさん。
プロデュースは細野さんで、この曲のキーボードも細野さんなんです。教授はこの曲ではまったく弾いてません。

初ソロアルバムにあたり、サンディーさんは当初ジャネット・ケイの「シリ―・ゲーム」をカバーしたかったのです。

しかしながら、細野さんから79年に世界的に大ヒットしたばかりだからダメだよ、と言われ断念。
細野さんは「よし、ここはユキヒロくんに何か書いてもらおう」となりました。
それを素材として細野さんとしては「シリ―・ゲーム」のようなダブ・ミックスを試みたかったのでしょう。

おそらくこの曲もたいていの場合と同じく、クリスの詞が先にあって、それにユキヒロさんが曲を付けていったのでしょう。
というのは、サビ前が字余りならぬ、小節余りなんですよね。それは詞先だったからと思うのです。
ただあまりにメロディが美しく余韻があるので小節余りに気付きませんけどね。

で。アルバムは完成し、教授は発売前のサンプル盤をもって1980年夏『B-2UNIT』ミックスの為に
ロンドンは、デニス・ボーヴェルのプライヴェート・スタジオへ。

そこで教授はデニスに「この娘をチェックして」と、
出来たばかりの「シリ―・ゲーム」のオマージュ曲といっていい「ドリップ・ドライ・アイズ」を聴かせました。

「シリ―・ゲーム」はデニスの作詞作曲編曲エンジニアまでした曲。
その当の本人に教授は聴かせたわけですね、私の日本人の音楽仲間があなたに影響された曲を作ったんだけどどうかな、というつもりだったのでしょう。

で。数か月後、そんないきさつがあったとはつゆ知らず
今度はサンディーさんがロンドンのデニスのスタジオに訪れます。

サンディーさんが自己紹介するや、デニスは「あのサンディーかい!?」といきなり♪ドリップ・ドライ・アイズ〜 と歌い始めたというのです(笑)

サンディさんもさぞかし驚いたことでしょうね。なにせサンディーさんにとってデニス・ボーヴェルは、彼のレゲエバンド、マトゥンビの頃からのファンで、
それで「シリ―・ゲーム」も好きでカバーしたかったくらいで憧れの人。
しかも発売前のはずなのに、そのデニスに自分の曲♪ドリップ・ドライ・アイズ〜 と歌われてしまったのですから(笑)

何回か書いてますが、いい話じゃないですか。

ちなみにアルバム『イーティン・プレジャー』の録音は
おそらく1980年の3月、おそくとも4月から。
『音楽殺人』(写楽祭)『増殖』と当時進行と思われサウンドに共通項が見られます。「ブルー・カラー・ワーカー」、モータウン「ストップ・イン・ザ・ネイム・オブ・ラブ」と「ジミー・マック」、スカ、レゲエ、ニューウェーブ等。

書いていて『イーティン・プレジャー』にサンディーさん版ブルー・カラー・ワーカーが入っていたら良かったのに、とつくづく思います。
ドリップ・ドライ・アイズ(81年)のドラムカバー。 ( No.56 )
日時: 2022/03/03 12:59
名前: ギーガ
参照: https://www.youtube.com/watch?v=ZISf-TlsL2I

1981年6月5日リリースされた、ユキヒロさん3枚目のソロアルバム『ニウロマンティック(ロマン神経症)』に収録。
サンディーさんに提供した(80年)ものを、ご自身でカバーしたという「セルフ・カバー」です。

海外ではシングルカットもされました。
たとえば82年頃、確かスペインやブラジルのラジオ番組のテーマソングとして使われていた、ということもYOUTUBEのコメント欄で知りました。地球の裏側ですよ。

イントロの印象的なプロフェットの音色を弾いているのは、ニューミュージックのリーダー、トニー・マンスフィールド。
ロンドンのエア・スタジオでのレコーディングの際、彼は肩に1台プロフェットを担いでもってきました。
プロフェット5は、作った音色を保存できるのですが、
トニー・マンスフィールドは初めからこの「ドリップ・ドライ・アイズ」の音を弾いたそうです(なんちゅうセンスなんだ)。
レコーディングではエフェクトもかかっていない、その生音のままを使ったとのこと。

また、この曲はそもそもデニス・ボーヴェル制作の「シリ―・ゲーム」のオマージュだったわけですが
Wikiによるとナント、トニー・マンスフィールドとデニス・ボーヴェルとは同じ学校の同級生だったとのことです! なんと言う偶然なんだ。

印象的なサックスは、ロキシー・ミュージックのアンディ・マッケイ。

歌メロに対して、合いの手のように入る低い控え目な音のギターは大村憲司さん。

細野さんのベースラインは、まるで「バレエ」ですよね。
また、サビの3コードの、3つ目の時に入るオルガンのようなキーボードの音は細野さんだと思うんですが、それが虚しい感じがしてイイ。

ユキヒロさんのドラムは、コメント欄で指摘している方がいますが、キックがノリのポイントですよね!

(サンディーのオリジナルと同じく、教授はまったく弾いてません)

このアルバムでは日本での下準備なしにすべてロンドンで製作をスタートしたというだけあって、
テクノポップが生んだ代表曲のひとつでありながら、
以上のように、彼らのプレイヤビリティに支えられていたという事実も、実に興味深いところなのです。
考察。 ( No.57 )
日時: 2022/03/04 09:40
名前: ギーガ

下記は以前にも書きました。・・・う〜ん。15年くらい前かな(笑)


この頃のユキヒロさんの曲のイントロには同工というか同じアイディアによるものが見られます。

たとえば。

1980年のツアーで、大村憲司さんにスポットが当たるよう用意した「マップス」。

この曲のイントロは、「3つの音のモチーフ」が下がっていくことで出来ていますよね。

つぎに「バレエ」。これは4音のモチーフが繰り返されることで出来ています。

そして、このユキヒロさん版「ドリップ・ドライ・アイズ」。
4音のモチーフが下がっていきます。

ビートニクス『出口主義』収録の「NO WAY OUT」では、3音のモチーフが2コード進行にのっています。
同じく「女は女である」だと3音のモチーフで循環。

すこし変わりますが、「カモフラージュ」のイントロは6つの音のモチーフが下がっていきます。

つぎの「階段」ではこのアイデアがさらに発展し、
6音のモチーフと4音のモチーフが繰り返され、もはやイントロのみならず曲の骨格となりました。

当時の「ミュージックマガジン」の『テクノデリック』のアルバム評では“ブギー”と書かれ、
当時中学1年だった私はコレで、ブギーとはなにかを逆に知りました。

82年の「二人の陰に」にいたっては、2音のコードに対して“合いの手”で入る低い音のフレーズになりました。
最初は3音、途中から4音となりますね。



上記の音はすべてプロフェット5で鳴らしてると思います(階段だけ生ピアノかも)
それも単音。単音なのに、ひとつひとつの音に存在感というか、音に個性と、圧のガッツがあります。



それにしても。書いていてウキウキしてくる名曲佳曲のオンパレードですね!
サンディー&サンセッツ「スティッキーミュージック」。 ( No.58 )
日時: 2022/03/05 12:49
名前: ギーガ

1984年4月25日リリース。大好きな曲です。

出だしのドラムの音。

これって、「シリ―・ゲーム」の出だしのオマージュですよね。
テイスト・オブ・ハニー「今夜はブギウギウギ」。 ( No.59 )
日時: 2022/03/06 12:57
名前: ギーガ
参照: https://www.youtube.com/watch?v=m9Zu-rnORLI

ベースカバーです。

オリジナルは A Taste Of Honey というアメリカのバンドの「 Boogie Oogie Oogie」で、1978年リリース。
ソウル、ポップ両チャートで全米1位となる大ヒット曲。

1:15から始まります。ベースライン、歌い出しのメロディと歌声、構成にご注目。

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