Top Page / Interview / 東郷昌和さんのインタビュー / ブッダズ・ナルシーシーについて

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■ブッダズ・ナルシーシーについて

    ― そもそも幸宏さんと一緒にバンドをやりだしたのは何時頃で、言いだされたのはどなたですか?

    幸宏と僕は小学校時代、同級生で、よく2人で、机をドラムのように叩きながら歌を歌ったりしてました。
    中学の時、僕は同級生とバンドを組み、文化祭に出て、幸宏はお兄さんのバンド『フィンガーズ』のドラマーが変わる時のつなぎに出てました。
    彼等はパーティバンドをやってたんですけど、夏の軽井沢で出てた時、僕も1曲、歌わせてもらいました。それで、その後、幸宏の同級生とバンドを組むようになりました。
    う〜ん、どっちが言い出したって言うか、一緒にビートルズを歌ったり、オリジナルの曲を作り始めたりしてて、お互い、シンガーとして、ドラマーとして認めてて、「じゃ、バンドを作ろう!」みたいな感じじゃなかったかなあ・・・

    ― ブッダズ・ナルシーシーは何時頃結成されたのですか?(※幸宏さんの本『犬の生活』には中学3年生とありました。)

    ■中学3年の時、会って、高校に入るころ組んだんじゃなかったかなあ・・・

    ― このパーティは慶応の学生が毎年夏に主催して、今は無き、軽井沢の三笠ホテルで行われた『キャンドル・ライト・パーティ』のことだと思うのですが、信之さんからのお誘いで参加されたのですか?

    幸宏が、前の年に、フィンガーズの手伝いでドラムを叩き、僕が1曲歌ったので、翌年から、そのまま、僕達が引き継いだって形になりました。

    ― その翌年、1968年、高校一年生の夏はブッダズ・ナルシーシーのメンバーとして同じく『キャンドル・ライト・パーティ』出演されていると思います。 これは、ボーカルが東郷さん、ドラムが幸宏さん、ベースがジャック松村さん、そしてギターがジョージ吾妻さんの4名ですか?

    ■いえ、ジョージではなく、キーボードに幸宏の同級生の大和久が居ました。

    ― そうすると、ブッダズ・ナルシーシーのメンバーは東郷さん、幸宏さん、ジャック松村さん、ジョージ吾妻さん以外にもユーミンや大和久さんなどもいた時期もあって、つまり先の4名固定ということではなくて年度かメンバーチェンジがあったんでね? 東郷さんはボーカルをやりながら、ギターも弾かれていたのですか?

    ■固定してたメンバーは、僕、幸宏松村大和久でした。 僕はギターでしたけど、途中、松村が渡米したりで抜けて、その時はベースをやりました。 その時のギターは、やはり、立教で幸宏達の同級生の吉野がやった時期もありました。

    ― その晩、夜の10時過ぎ頃だったかに、南軽井沢にあった幸宏さんのお家の別荘でメンバーがみんなゴロゴロしながら、音楽談義に花を咲かせていた時、パーティーの対バンで、バーンズとして出演されていた細野晴臣さんにが、旧軽井沢から自転車でこられたそうですが、その時のことで覚えていることがあれば教えてください。

    ■まあ、もう時効でしょうから言っちゃいますけど、幸宏の別荘で、毎晩飲みました。
    まだ、高校生だったんで、飲み方もわからず、とんでもなく酔ったものです。
    そう、細野さんは、僕達にすごく興味を持ってくれてね。その後、細野さんが、ドラム、ベース小原、ギター鈴木茂ってグループを紹介してくれたんですよ。

    ― ブッダズ・ナルシーシーで中学生の頃に幸宏さんやユーミンとテレビ出演をされたことがあるそうですが覚えていらっしゃいますか?

    ■はい、『ヤング720』って番組に出ました。ピアノがユーミンで、ドラムが幸宏、僕がボーカルで、あと、キーボード、ベースを加え、ユーミンの作詞作曲の『マホガニーの部屋』と言う曲を歌いました。後に、その曲に別の詞を付けて、某アーティストの作品としてレコード化され、詞は、ユーミンが、別にメロを付け、自分の作品として、レコーディングされてます。


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