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きっとうまくいく5
日時: 2021/02/21 16:29
名前: ギーガ
参照: http://www.mryt.com/forum/main/read.cgi?mode=past&no=30472

「きっとうまくいく4」は過去ログに移りました。

これでしばらく、スパムの襲撃におびえることなく生活できます。

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気流の鳴る音。 ( No.11 )
日時: 2021/03/03 17:40
名前: ギーガ
参照: https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480851239/

細野さんとユキヒロさんが詞・曲とも共作した「CUE」。

この詞の一節に〈気流の鳴る音〉という箇所があります。
お二方のうち、そのフレーズをひねりだしたのは、細野さんでしょう。

というのも、細野さんが77、78年にミュージックマガジン誌などに書いた文章をまとめた
『地平線の階段』79年10月刊行を読むと
その頃、カルロス・カスタネダ著『呪術師と私 ドン・ファンの教え』72年という本を
細野さんが愛読していたことがわかります。

この本は、ようするに人類学の本で
ペルー出身でアメリカの学者である著者が、
アメリカの先住民族のドン・ファンという人物から
非西洋的な知恵を教えられる、というものです。

で、77年に真木悠介という人が書いた『気流の鳴る音』という本が出てました。
これは当時カスタネダ著の『ドン・ファンの教え』シリーズが何冊か出ていて
それについてあーだ、こーだ、論じた本なんです。

ですから細野さんは、より『呪術師と私』の理解を深めるためにも読んでいたか、
少なくともこの印象的な書名はご存じだったのではないか、と思うわけです。

さて。

その問題の『気流が鳴る音』という書名の本を書いた〈真木悠介〉なる人物はペンネームでして。

本名は見田宗介(みた・むねすけ)さんといって御年83歳。
東大の社会学の学者先生です。お父様の見田石介(せきすけ)も東大のヘーゲルの碩学でした。

でその、お父様のいとこというのが、実は・・

あの甘粕正彦(あまかす・まさひこ)。

坂本龍一教授が、映画『ラスト・エンペラー』で演じた甘粕大尉、その人なんです!!

これで、「CUE」と「ラストエンペラー」が結びつきました(笑)
トヨタ自動車のクレスタ97年のCM。 ( No.12 )
日時: 2021/03/04 18:27
名前: ギーガ

沢田研二さん、ユキヒロさん、安全地帯の玉置浩二さんが登場。
なんで、この3人にしたんだろうといまも思っていますが(笑)
いろんなバージョンがあって結構、長い間オンエアされていましたね。
動画サイトに他のバージョンもありますので興味がある方はご覧ください〜。


さて。映画『戦場のメリークリスマス』で教授は、ヨノイ少佐を演じました。

たしか大島渚監督の著書にあったのですが
最初の候補はヨノイ少佐は
教授ではなくて、“沢田研二”さんだったんですね。

他、デヴィッド・ボウイの役は、ロバート・レッドフォード
ビートたけしの役は、緒方拳。

ところが、3人とも断られてしまったので、
教授ボウイたけしに落ち着いたわけです。

そして大島監督は最初の候補の方々に向けて
「断ってくれてありがとう! おかげで最高の映画が出来た」
と監督らしい言葉で結んでいます(笑)

候補の名前は他にも書かれていたと思いますが、
忘れてしまいました。

当時の大島監督から見て、
沢田研二さんと教授を同じキャスティング・イメージでみていたということは
興味深いことです。妖艶、色気、目ぢからかなあ。化粧か。
TOKIO。 ( No.13 )
日時: 2021/03/05 12:11
名前: ギーガ

沢田研二さんが唄う「TOKIO」は1980年1月1日発売。

作詞はこれまでジュリーの多くの楽曲を手掛けてきた作詞家の阿久悠さんから変わって、
コピー・ライターで、ジュリーと同じ年の糸井重里さん(1948年生まれ)が手がけました。
といっても、阿久悠さんもコピーライター出身でしたが。

糸井さんによると
79年9月25日に発売されたYMOの『ソリッド・ステイト・ザヴァイヴァー』に衝撃を受け
“新時代の幕開け”を感じたことから、アルバム冒頭のボコーダーの“TOKIO”から、
タイトルをとったとのことです。

編曲はユキヒロさんとサディスティックスを組んでいた、ベーシストの後藤次利さん。
この曲はベースが特にカッコイイんですよ!

この1980年は漫才ブームの年でもありまして、
沢田研二さんの衣装が数年後「オレたちひょうきん族」のタケちゃんマンの衣装になったということも
懐かしく思います(笑)
ピンクレディー「ラストプリテンダー」。 ( No.14 )
日時: 2021/03/06 12:38
名前: ギーガ

よくいわれているように、80年のYMOブームを準備したもののひとつに、
<ピンクレディー>の存在があったと思います。
※ほかに挙げるとすると、79年に発売されたソニーのウォークマン。

ここではそれについて詳しく言及しませんが、事実を並べますと、
YMO最初期のライブでは持ち曲が少なかったため
教授やユキヒロさんのソロアルバムの曲とともに
ピンクレディーの「ウォンデッド」もテクノで演奏されたことは有名ですね。
ある意味、最初のテクノ歌謡ですね(笑)

つづいて教授はYMOのセカンドアルバム用にその「ウォンデッド」のR&Bベースのリフをもじっったり、
Cパートのヨーロッパ的な旋律、Bパートのようなカチャカチャ変わる場面展開などを参考にして
「テクノポリス」を作ります。79年9月25日発売。

そして話は飛びますが、
そのピンクレディーが、80年9月1日に解散を発表。
翌81年1月21日には、21枚目のシングルであり、ラストから2番目の
「ラスト・プリテンダー」を発売します。

それまでの作詞阿久悠さんと作曲都倉俊一さんのコンビを離れ、
「テクノポリス」のボコーダーの“TOKIO”から「TOKIO」を作詞した糸井重里さんの作詞と
「ライディーン」を作った、ユキヒロさんの作曲編曲です。

しかし。
この曲はシングルにもかかわらず、解散コンサートにおいて
ピンクレディー本人の口から生では歌わない、と告げられ、以来ずっと封印されてきました。

そのあたりの事情はわかりません。

近年発売されたピンクレディーのBOXの中にある、
お二人と、関係者、とくにディレクターを務めた飯田“ホネオリン”久彦さんのインタビュー中に出ているかもしれません。

そして解散宣言からちょうど30年後の2010年9月1日。
ピンクレディーが解散を撤回、活動再開にいたりました。

で、このミーさんが「ラスト・プリテンダー」を歌っている動画を見つけたときは
ピンクレディーとYMO双方のファンとしては、感慨深いものがありましたね。

また、ケイさんにおいては、糸井重里さんのサイト「ほぼ日」で
この曲についてふたりで語っているのがありますので
興味がある方は検索してみてください。
新春スターかくし芸大会。 ( No.15 )
日時: 2021/03/07 12:38
名前: ギーガ

1981年1月1日夜の番組の演目「ライディーン」。

もともとユキヒロさんは<和モノ>として作ったこの曲が、
当時、〈中国〉のイメージで受け止められていたことがよく表れていると思います。
チャイナドレスに太極拳ですよ(笑)

すでにピンクレディーは80年9月1日に解散宣言をしており、
81年1月21日発売のユキヒロさん作曲「ラスト・プリテンダー」の録音は終わっていたと考えられますから
同じユキヒロさん作曲の「ライディーン」で踊っている二人は何をお思いになっていたことでしょう。
チャイナ・レストラン。 ( No.16 )
日時: 2021/03/08 12:16
名前: ギーガ

「ジェニーはご機嫌ななめ」のジューシィ・フルーツが
83年5月に発表したシングル、「チャイナ・レストラン」。

作風がまるでユキヒロさんのように聴こえますが、
作曲者は大村憲司さんです。

深夜放送で初めて聴いて、とくにサビが大好きでした。

デヴィッド・ボウイの世界的にヒットした「チャイナ・ガール」も同じ83年の5月発売。

高見知佳の「くちびるヌード」84年2月、香坂みゆきの「ニュアンスしましょ」84年8月は共に中国っぽいメロディが入っていたりと、
この頃、異国情緒としての“チャイナ”が流行っていたということです。
大村憲司「ザ・ディフェクター」。 ( No.17 )
日時: 2021/03/09 11:29
名前: ギーガ

大村憲司さんのアルバム『春がいっぱい』は81年2月21日に発売。

同日、スネークマンショー『急いで口で吸え』とシングル「咲坂と桃内のごきげんいかが1・2・3」も発売されています。ああ40周年。

この曲はユキヒロさんの作曲で、
シングルカットされた「春がいっぱい(イギリスのThe Shadowsのカバー)」のB面でした。

すっごく、春の訪れを感じさせてくれて、いまも愛聴しております。
教授のオルガン系の音色の、ウネウネしているシンセがここちよい。
トニー・マンスフィールド。 ( No.18 )
日時: 2021/03/10 13:12
名前: ギーガ
参照: http://www.mryt.com/who/tony.html

イギリスのバンド、ニューミュージック(New Musik)のリーダー。

いろいろ検索しましたが、結局このサイトの紳士録が一番情報が充実していました(笑) 
なんてすばらしいんだ!

文中に出てくる、水上(みなかみ)はるこさんという方は元『ミュージック・ライフ』の編集長です。キーパーソンですね!

まだ日本ではレコードのリリースがなかったニューミュージックを、
ユキヒロさんが当時できたばかりのエピック・ソニーにおすすめしてリリースにいたって、
その日本盤のライナーノーツも、ピンクレディーの「ラストプリテンダー」を作ったユキヒロさんと糸井重里さんのコンビで書いているというところがポイント。
ストレイト・ラインズ。 ( No.19 )
日時: 2021/03/11 10:34
名前: ギーガ

79年11月にユキヒロさんがNew Musikの曲で初めて聞いた
「Straight Lines」。

「Fait Accompli」90年に影響が感じられます。
リビング・バイ・ナンバーズ。 ( No.20 )
日時: 2021/03/12 09:56
名前: ギーガ

80年7、8月加藤和彦さんのレコーディングで訪れていたドイツで聞いたという「Living by Numbers」。

後半の They don't want your name♪を繰り返すところは
アゴ&キンゾーに提供した「哀愁のデスマッチラブ」の後半に影響を与えてると思います(笑) レッスル レッスル♪

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