考察。 ( No.21 ) |
- 日時: 2021/03/13 13:12
- 名前: ギーガ
- 残念ながら私はアナログの日本盤LPにあるユキヒロさんと糸井重里さんのライナーを読んでいません。
なので、当時、ユキヒロさんが「どういうふうにNew Musikをとらえていたのか」つかめていないのです。
その点をご留意いただき、私の場合、ユキヒロさんの作った曲から比較するしかなく、 その影響とみられるところを列挙したいと思います。
1.New Musikを聴いてると、逆回転再生をテープ編集した音がよくあります。 「ラストプリテンダー」の出だしにも聴こえますが、これはNew Musikというより、 ビートルズでしょう。 ユキヒロさんにしてみれば「お。イギリスのビートルズファンだな、やってるやってる」とシンパシーを感じたぐらいで。 New Musikからの影響、とは言えないのでこれはおいときまして。
2.一番顕著なのが、ドラムの演奏の途中からホワイトノイズがかぶさるところです。 PVにあるようにプロフェットの音をかぶせたのでしょう。 「ラストプリテンダー」「ザ・ディフェクター」に影響が見られますね。
3.ベースのフレーズ。YOU TUBEに「Straight Lines のBass」を演奏している人の動画があるので 確認できますが、これが果たしてオリジナリティがあるものか、元々どなたかの有名なフレーズかどうか存じません。 ただ、細野さんは「ザ・ディフェクター」や「Are You Receiving Me?」、「Fait Accompli」で同じようなフレージングをしています。
4.これもわかりやすいんですが、「Living By Numbers」のプロフェットの音。 チャイムとスチールドラムを混ぜたようなやさしい音色の音です。飽きないでずっと聞いてられます。 「ドリップ・ドライ・アイズ」のイントロでは、トニーマンスフィールド本人に演奏してもらっていますね。
5.最後に、トニー・マンスフィールド自身の歌声。内省的というか。 これは「ディスポーザブル・ラブ」Pulseの「MEMORY WITHOUT CONSEQUENCE」のデュオ(Bパート)、 「グラス」「コネクション」でのサビ、 ビートルズのカバー「It's All Too Much」でバッキング・ボーカルでも歌ってもらってますね。
こうしてみていくと、影響されているというより、 ユキヒロさんの音楽の重要な要素でしたね。ありきみたいな。 トニー・マンスフィールドの歌声のない「ディスポーザブル・ラブ」、 あの音色のイントロでない「ドリップ・ドライ・アイズ」、 考えられませんね。
|
神経質な赤いバラ。 ( No.22 ) |
- 日時: 2021/03/14 12:24
- 名前: ギーガ
- 家のどこかにあるはずなんですが『アドリブ』という音楽雑誌81年の何月号かに
ユキヒロさんのサード・アルバム『ニウロマンティック』81年のロンドン・エアスタジオでの レコーディング風景のレポートというのが載っていました。
記憶をたよりにそこに書かれていたことをベースにして トニマンについてつらつら書いてみたいと思います。
・トニー・マンスフィールドはプロフェットをケースに入れず、むき出しのまま肩に担いで レコーディングスタジオにやってきました。そのミュージシャンらしからぬ風采に 「電気工事の人がやってきたのかな」とユキヒロさんは思ったそう(笑) ユキヒロさんはオシャレな人なので、とくに思ったんでしょうね。 いでたちは大事。なめられる、ということをこの一文で私は学びました(笑)
※プロフェットは高いシンセですからなんでむき出しのままもってきたのか真意はわからず。 ミュージシャンほど自分の楽器は大切に扱うものですからね。
・プロフェットの中には彼が作った音が保存されており、ユキヒロさんが弾かせてもらうと まさにNew Musikの音がしたそう。おそらく「Living My Numbers」のオビリガードのあの音。 ※当時、自分が作った音をたくさん保存できたシンセは少なかったのです。
・レポーターの取材時はちょうど「神経質な赤いバラ」で、ンパッ、ンパッ、ンパッ、ンパッ♪ というずっと鳴っているフレーズをトニー・マンスフィールドが手弾きでいれるレコーディングをしていました。
彼は音色が金属っぽすぎるんじゃないかと思い、ユキヒロさんに指示をこうと 「それはねらったものだから、そのままでいいよ」という返事。 するとトニー・マンスフィールドは「おおせのままに」とばかり仰々しく会釈をして作業に戻った、とのことです。
※皆さんは『ニウロマンティック』をいくつお持ちですか?(笑) 私の場合、借りてテープに落としたのと(結果、一番聴きました) 高校に入ってから買ったミュージックテープと、大学時代1990年代前半に出たCDと、 社会人になってから2005年にしっかりとインタビューが載っていて、リマスタリングされているCD と計4つ所有しています。
それでこの ンパッ、ンパッ、ンパッ、ンパッ♪ の音だけ聴き比べると 全部、音の大きさと鳴ってる位置が違うんですよ! 分離されず、埋もれて聴こえないのもあります。 それはYOUTUBEに上がってる音源でスマホでもわかります。試してみてください。
・ユキヒロさん並びにYMOのライブレポートで、イギリスには労働者階級など“階級”というものが あることを知りました。
・当サイトの紳士録によると『Wild&Moody』84年のレコーディングで ユキヒロさんはみたびトニー・マンスフィールドをさそっていたんですね! もし実現していたら、トニー・マンスフィールドとアイヴァ・デイヴィスと作った曲が並んでいたでしょうね。夢のようだな。
ただ。ライブでの担当楽器からいって、おそらくトニー・マンスフィールドに断られたから アイヴァ・デイヴィスに声をかけたんでしょうね。 そうすると、もしトニー・マンスフィールドがOKだったら 「Waking to the Beat」は存在していなかったかもしれません。
・これは1997年のスティーヴ・ジャンセンとのユニット、PULSEのレコーディングのときの話。 久しぶりにトニー・マンスフィールドと再会し、しんみりした「MEMORY WITHOUT CONSEQUENCE」 であの内省的なボーカルを入れてもらうことになります。 それでロンドンでの『ニウロマンティック』のときの思い出話になると 「あのときはみんな、なんにもしゃべってくれなかったんだよなあ(笑)」とのこと。 ひとりですごくさみしかったんだそうです(笑)
|
マリのピンクのラブソング。 ( No.23 ) |
- 日時: 2021/03/15 16:59
- 名前: ギーガ
- トニー・マンスフィールドのプロデュース作、
マリ・ウィルソンの代表作といってもいい「Just What I Always Wanted」82年。
作詞作曲はトット・テイラーなんですが、クレジットはTeddy Jonnsという変名です。
曲名を直訳すると「まさに私がいつも欲しかったもの」なんですが なぜか邦題は「マリのピンクのラブソング」。イカしてますね(笑)
|
Are You There ( No.24 ) |
- 日時: 2021/03/16 12:07
- 名前: ギーガ
- バート・バカラック作曲、ディオンヌ・ワーウィック歌唱の「Are you there(with another girl?)(65年)。
それをマリ・ウィルソンが歌ったカバーバージョンがあります(83年)。ユキヒロファン必聴。 (タイトルを直訳すると「別の女の子といっしょにいるの?」)
ユキヒロさんはこのトニー・マンスフィールドのアレンジがお好きみたいで、 原田知世さんのカバーをアレンジしたときも、オリジナルのディオンヌ・ワーウィック版ではなくて このマリ・ウィルソン版を下敷きにアレンジされているようです(もし勘違いだったらすみません)。2007年。
また、マリ・ウィルソン版は「蜉蝣」83年に影響を与えてると思っています。
|
高岡早紀「楽園の雫」。 ( No.25 ) |
- 日時: 2021/03/18 19:03
- 名前: ギーガ
- 彼女のセカンドアルバムのタイトル曲89年。
作詞は森雪之丞さん、作曲はユキヒロさん。
出だしの カッカ、カララン〜 ♪ に注意!
これを聴いて、「1%の関係」90年の出だし! ととるか、 「Fait Accompli」90年の最後のサビとサビの間のブレイク、ととるか(笑) 聴き比べしてみてください〜。
|
戸川純ユニット「眼球綺譚」。 ( No.26 ) |
- 日時: 2021/03/19 10:27
- 名前: ギーガ
- 作詞:戸川純、作曲:戸川純・吉川洋一郎、 アルバム『極東慰安唱歌』収録。85年3月発売。
この打ち込みドラムはユキヒロさんによるものです。 エンジニアは飯尾芳史さん。
「今日の空」85年11月は、この曲のリズムパターンを考えていたときに曲想がひらめいたんではないか、と思っています。
|
安田成美「Sueはおちゃめなパン屋さん」 ( No.27 ) |
- 日時: 2021/03/20 12:34
- 名前: ギーガ
- 84年4月に発売されたの成美さんのファーストアルバム『安田成美』収録曲。
作詞はムーライダーズの鈴木博文さん、作曲はお兄さんの慶一さんで、編曲はユキヒロさんと 翌年発足のTENTレーベルの前準備的ですね。
この曲のサビ直前に入るドラムのフィルインが翌年の「今日の空」85年11月にいっていますね。
|
映画『音響ハウス Melody-Go-Round』主題歌.。 ( No.28 ) |
- 日時: 2021/03/21 12:31
- 名前: ギーガ
- 参照: https://www.youtube.com/watch?v=yq5ild330Cw
- 譜面をみながらドラムを叩くユキヒロさんを
初めて見ました(感動)
この曲の作曲者である佐橋佳幸さんは、じつはNo.3の桐島かれんさんのファースト・ソロ・シングル「トラヴェリング・ガール」90年の作曲者です。
|
安田成美「蝶をちぎった少女」。 ( No.29 ) |
- 日時: 2021/03/22 12:27
- 名前: ギーガ
- ファーストアルバムに収録。84年4月発売。
作詞は売野雅勇さん(うりの・いさお 1951年2月生)です。
子供がときとして未だ幼いが故の、残酷さをあらわしたインパクトのあるタイトル。 その少女が、大人の女性になる端境期の、 不安定さ危うさを暗喩を交えながら淡々と描いていて、すごい詞ですね。
安田さんの甘い歌声がまたいい。
売野さんは、DJをつとめられた2018年05月25日、NHKFM『夜のプレイリスト』では ユキヒロさんの『音楽殺人』をかけました。 作詞家になる前の編集者時代にすでにユキヒロさんと接点があった、とのこと。
作詞家としては、YMOで小池玉緒「鏡の中の十月」83年 ※門あさ美「退屈と二つの月」88年は曲は同じで、新たに売野さん自身が詞をつけ直したもの。 細野さんとは中森明菜「禁区」83年、 ユキヒロさんとはこの、安田成美ファースト 教授と「美貌の青空」95年、中谷美紀さんの諸作品
と、結構接点があるのです。
|
精一杯の微笑み。 ( No.30 ) |
- 日時: 2021/03/23 12:26
- 名前: ギーガ
- 参照: https://www.youtube.com/watch?v=D6qqzoCzOJs
「精一杯の微笑み」94年は、安田成美「蝶をちぎった少女」84年から10年後の作なんですが 同じようにユキヒロさんによる一人多重コーラスが際立ってますね。
資生堂85年のCMソングでした。
萩野光雄さんは安田成美さんのファーストと 『Mr.YT』両作でストリングス・アレンジを担当しているという共通項があります。
|