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きっとうまくいく5
日時: 2021/02/21 16:29
名前: ギーガ
参照: http://www.mryt.com/forum/main/read.cgi?mode=past&no=30472

「きっとうまくいく4」は過去ログに移りました。

これでしばらく、スパムの襲撃におびえることなく生活できます。

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テクノポリスのドラム・カバーを聴く。 ( No.42 )
日時: 2021/04/03 12:21
名前: ギーガ
参照: https://www.youtube.com/watch?v=CbU0DOmXT9w

すばらしい。カチャカチャと切り替わる場面転換の妙がこの曲の醍醐味ですが、ドラムの正確なフィルイン(=おかず)によって見事に強調されてますね。

とくにフィルインの直後戻ったところ。
たとえば2:58から。

前にも書きましたが、例えばライディーンのドラムのフィルインは、次につなげよう、次につなげようという感じがしますよね。
マーティ・フリードマン×上坂すみれ対談。 ( No.43 )
日時: 2021/04/04 12:46
名前: ギーガ
参照: https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/kikaku/2939742/

No.42のドラムカバーの音と比べると
「テクノポリス」のドラムの音は大分、加工されていることがわかりますね。
ジャスティスの「ホース・パワー」。 ( No.44 )
日時: 2021/04/05 12:37
名前: ギーガ

こちらの情報は、いつも訪れる「YMOとかPerfumeとかテクノ系?」という
素晴らしいブログで教えていただきました。

フランスのエレクトロニカ・デュオ、ジャスティス。
彼らの2枚目のアルバム『オーディオ、ヴィデオ、ディスコ。』2011年10月から「ホース・パワー」。

1:58〜 のメロディ。3回出てきます。
池田聡「モノクローム・ビーナス」。 ( No.45 )
日時: 2021/04/06 13:21
名前: ギーガ

似たような件を思いだしました。

池田聡さんのデビューシングル「モノクローム・ビーナス」(86年8月発売)。サビの部分がCMに使われました。
編曲は清水信之さんです。

0:48〜1:05の部分。

この曲はCMの効果でヒットし、ザ・ベストテンでも歌われましたが
そのときは上記の部分がないショートバージョンでした。
LP『パブリック・プレッシャー』のA面の最後に聴こえる曲。 ( No.46 )
日時: 2021/04/07 12:21
名前: ギーガ
参照: https://www.youtube.com/watch?v=twUKC8OAvNs

「ジ・エンド・オブ・エイシア」ではありません。

その後にわずかに聴こえてくる、男性の声の曲です。 オ、オ、オ、オ、オ♪

私はミュージック・テープを持っていましたが
それにも入っていました。

※CD化の際にカットされています。

この曲はデヴィッド・ボウイの「TVC15(ワンファイブ)」です。『ステイション・トゥ・ステイション』76年に収録。

ボウイとの接点は、YMOの79年のライヴからあったのですね。
デヴィッド・ボウイ「It's No Game」 ( No.47 )
日時: 2021/04/08 13:10
名前: ギーガ

デヴィッド・ボウイ「It's No Game(No.1)」は
インパクトがあって、好きな曲です。

シルエットや影が〜

革命を見ている〜

もう〜天国のぉ自由の階段はないぃ〜


ここでは、この曲とYMOの「ナイスエイジ」との関係を考察したいと思います。



その前に基本データをおさえておきましょう。

上のNo.46でお話したボウイの「TVC15(ワン・ファイブ)」が聴こえるのは、
1979年10月のヴェニュー(ロンドン)公演です。
それを収録したYMOの『パブリック・プレッシャー』は80年2月発売。

ユキヒロさんがボウイ張りに唄ったYMOの「ナイスエイジ」が収録された『増殖』は、
80年6月発売。

ボウイの「It's No Game(No.1)」が収録されている『スケアリ―・モンスターズ』
の録音は80年2月15日 〜4月末で、発売は80年9月。



〈考察〉
まず、『スケアリ―・モンスターズ』製作のときにボウイは、YMOのロンドン公演時に
自分の「TVC15」が館内でかかった情報を耳にしていたか、『パブリック・プレッシャー』で
知っていても時系列的には、おかしくない、と。

仮にボウイが『パブリック・プレッシャー』のお返しとばかりにYMO側を驚かせようと(笑)、
自分の歌い方の真似をしているような「ナイスエイジ」を聴いて、
その間奏の日本語のナレーションからヒントを得て「It's No Game(No.1)」を作ったとしましょう。
そうすると、いつ「ナイスエイジ」を聴いたのかという話になります。

『増殖』は6月発売なんです。すると、4月末にひととおり録音が終わってから、
実は6月以降に追加録音していたのか?ということになります。
「It's No Game」がNo.1とNo.2に分かれてるのも、なにやら『増殖』っぽいです。
これが正しいとすると、No.2がもともと「It's No Game」というタイトルの曲で、
あとで、No.1を作って足した気がします。

さらに自然な説としては、以前にお話ししたように「ナイスエイジ」は1979年
12月24日のクリスマス・イブに録音にはいったのですね(笑) トラックシートから判明してます。
そして80年1月23日に、スタジオAにクリス・トーマスとミカさんと、
リンダ・マッカートニーが訪れ、例のナレーションを録音しました。

そうすると、発売前の「ナイスエイジ」(あるいは『増殖』)をボウイに聴かせた人が
いれば80年2月15日〜4月の『スケアリ―・モンスターズ』の録音のときでも十分、成り立ちます。
『増殖』の楽曲の録音最終日は4月25日。

それはYMOに近い仕事をしていて録ったばかりの音源を持っていてもおかしくなく、かつ、
ボウイにも近しい人物ということで
ヤッコさんか鋤田さんあたりなんじゃないか、と思っています。ムムム。 
※前にも書きましたが、ボウイは80年3月29日のあたり前後7日間ほど、
秘密裡に日本の宝焼酎「純」のCMの撮影のため京都に、鋤田さんらといましたから。


こんどはYMO側から見てみましょう。

まず、「TVC15」を聴いて驚かれた方もいらっしゃると思います。この“ニューオリンズ”風味。
歌メロの作り方を除けば、まるで細野さんですよね!

ボウイの「TVC15」は76年の作品。そう、細野さんがニューオリンズにはまっていた頃の
『泰安洋行』も同じ76年の発表でした。

なぜ、二人は同じころ、ニューオリンズにはまったのか。・・それはまた別の機会ということに(笑)

「ナイスエイジ」のユキヒロさんのボーカルと、サンディーさんのコーラス録りは79年の12月27日。
ユキヒロさんいわく、
「『スケアリー・モンスターズ』の頃のデビッド・ボウイの歌唱法を参考にした」(大意)とのことですが、

上記にあるように『スケアリー・モンスターズ』の録音は80年2〜4月ですし、
発表にいたっては9月なんでこれはおかしいですね。
時系列的に「ナイスエイジ」のボーカル録りのときには聴けないハズ。

やっぱりこれは、ユキヒロさんには珍しい記憶違いであり、
『スケアリー・モンスターズ』の“頃の”がポイントで、
実際には前作かその頃のライブでの歌唱を参考にした、のではないかと
思っています。『スケアリー・モンスターズ』を引き合いに出したのは適当ではなかったのです。


〈おわりに〉
「ナイスエイジは『スケアリー・モンスターズ』の頃のデビッド・ボウイの
歌唱法を参考にした」(大意)と書いてあったのは1984年2月号の『宝島』
(表紙はユキヒロさん)での記事です。インタビュアは景山民夫さん。

この記事ではほかにも「『バレエ』はタマラ・ド・レンピッカのことを歌っている」
など重要な発言がみられるんですが、

立ち読みで読んでからというもの、エンエンと考えて、早37年の年月が過ぎ去り、
ようやく、自分の中でのつじつまがあいました(笑)
ナイスエイジのドラムカバーを聴く。 ( No.48 )
日時: 2021/04/09 12:56
名前: ギーガ
参照: https://www.youtube.com/watch?v=yWI5f01B_H8

シンプルなのに感動しちゃう(笑)
LP『パブリック・プレッシャー』のB面最初のMCの人。 ( No.49 )
日時: 2021/04/10 11:42
名前: ギーガ

この恰幅のいい金髪の司会者は、チューブスのマネージャー、
リッキー・ファー氏です。
ロスアンジェルスのグリーク・シアター。 ( No.50 )
日時: 2021/04/11 12:52
名前: ギーガ
参照: https://www.ryokouki-navi.com/post/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB-%E3%83%AD%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%BC%E3%83%AB%E3%82%B9-%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%82%BF%E3%83%BC

屋外なんですよね。約6000人収容できます。
YMOにしてみれば、前座とはいえ、初の大舞台。

しかも、海外。

しかも、客はチューブスのファンであり、チューブスを見に来てます。
前座だと、ふつうは無視されるか、気に入られなければブーイングを浴びることも覚悟しなければなりません。

と・こ・ろ・が。

3日間(79年8月2日〜4日)の公演の最終日では、
ご覧のように、YMOはとてつもなくウケたんです。拍手喝采。前座なのにアンコールの嵐。
チューブスをくっちゃった。

このYMOの快挙は、目の当たりにした、日本から同行していた各メディアの人たちによって興奮気味に、日本にその様子を伝えました。

国営放送のNHKは、ニュースといえば暗い事件報道が日常である中で新鮮だったのでしょう、
NHK7時のニュースでとりあげられ、この映像が日本中に流れたのでした。

『(いま)日本の新しいバンドが、ポップスの本場ロスアンジェルスで大喝采を浴びる快挙!!』を成し遂げたと。



※ちなみに、2枚目のアルバム『ソリッド・ステイト・ザヴァイヴァー』発売(9月25日)の前の話です。
ドクター・ジョンと会う。 ( No.53 )
日時: 2021/04/14 15:48
名前: ギーガ
参照: https://www.tbsradio.jp/380478

このLAのグリークシアターのときに、
YMOは当時A&Mレコードにいた大物プロデューサー、トミー・リピューマの自宅での、
ティーパーティーに招待され、そこで、ドクター・ジョンに会った話は有名ですね。

ドクター・ジョンはニュー・オリンズから移動してきて
トミー・リピューマがつくった新レーベル、「ホライゾン」にYMOと一緒にはいったので、
同じレーベルメイトとして、パーティーに呼ばれていたのです。

「ホライゾン」はフュージョン系のレーベルでしたから、YMOはまだいいとして、
ドクター・ジョンはさぞかし居心地が悪かったことでしょう(笑)

ところで、ドクター・ジョンの弟分みたいな人に、ロニー・バロンという人がいまして、
前年の1978年に細野さんプロデュースで東京でアルバムを作っていました。

それで、ドクター・ジョンの方が仲間意識を持ってくれていて、
「良いアルバムをありがとう。ロニー・バロンのお母さんや親戚が喜んでるよ」と言ってくれ、
さらには、コズミック・サーフィンを褒められ、
肩をもまれつつ、音楽ビジネスには気をつけろよ、と忠告をうけたというわけなんです。

※くりかえしますが、まだ『ソリッド・ステイト・サヴイヴァー』リリース前の話です。

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