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きっとうまくいく5
日時: 2021/02/21 16:29
名前: ギーガ
参照: http://www.mryt.com/forum/main/read.cgi?mode=past&no=30472

「きっとうまくいく4」は過去ログに移りました。

これでしばらく、スパムの襲撃におびえることなく生活できます。

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デヴィッド・ボウイ考察2。 ( No.54 )
日時: 2021/04/17 11:01
名前: ギーガ
参照: https://twitter.com/DavidBowieBot/status/1245273312604778496

No.47他で、デヴィッド・ボウイはCM撮影のため秘密裡に来日し、1980年、3月29日には確かに京都にいた、
と書きました。

このことは、P-modelの平沢進さんの、ボウイがお亡くなりになったときの追悼ツイッターで知りました。

(ボウイの本を何冊か目を通しましたが、80年の宝酒造CM撮りの来日がいつだったのかよくわからなかったのです。
まず、海外で出版されたものの多くには記述そのものがありません。1月とあったのもあります。
しかし、それもわかる気がします。
だって『スケアリー・モンスターズ』のレコーディングは80年2月15日から4月、
「It's No Game(No.1)」にいたっては4月、と海外版のwikiにも書いてあるほどですから。
真相は、レコーディング期間中に来ていたのですね!)


その日、平沢さん達は京都の銀閣寺近くにあった小さなライブハウス「サーカス&サーカス」で
ライブをしていました。

すると、終演後、楽屋にデヴィッド・ボウイが突然現れ、激励を受けたという話なんです。

日本のP-modelまで、チェックしてたという、驚くべきこの事実。

京都滞在の様子は、写真家の鋤田正義さんによって写真におさめられ
画像検索すれば、たくさん出てきます。

東山商店街に訪れたときの写真は、その頃に出た雑誌『宝島』の表紙を飾っています。80年10月号。


こうしてリンク先にある、人民帽と人民服を着飾ったボウイの写真をみていただければ、

私の、

“ボウイはYMO『パブリック・プレッシャー』、「ナイス・エイジ」、『増殖』を聴いている説”

“「It's No Game(No.1)」は、リリース前の「ナイスエイジ」の間奏がヒントになってる説”

“「It's No Game」がNo.1とNo.2に分かれて収録されてるのは、『増殖』がヒントになってる説
+ No.2が先にあって、『増殖』を聴いて、No.1を作り、先の曲がNo.2になったんじゃないか説”

の信憑性が増すというものです。


ボウイ来日の日付の特定に私がこだわってきたのは、このためなんです。
ニューオリンズ事情。 ( No.55 )
日時: 2021/04/18 18:44
名前: ギーガ

ドクター・ジョンの弟分みたいな人が、ロニー・バロン。

ドクター・ジョンの先生が、アラン・トゥーサンで。

アラン・トゥーサンの先生が、プロフェッサー・ロングヘア。

いま、私は『音楽王 細野晴臣物語』84年のなかにあった矢印だらけの図の説明をしています(笑)
(ああ高校の頃の自分に読ませたい)


細野さん、ドクター・ジョンの『ガンボ』72年のなかでも
「ビッグ・チーフ」という曲に打ちのめされた話をよくします。

※余談ですが大滝詠一さんだと「ジャンコ・パートナー」。
「ビッグ・チーフ」と「ジャンコ・パートナー」への嗜好の違いが、
そのまま『泰安洋行』76年と『ナイアガラ・ムーン』75年の違いとも言えそうです。


この「ビッグ・チーフ」でオルガンを演奏していたのが、弟分ロニー・バロンであり、
「ビッグ・チーフ」は大先生プロフェッサー・ロングヘアの曲なんです。

78年リリースの細野さんプロデュースで、ロニー・バロンのアルバムを作っていたときの話です。
ある曲で「ビッグ・チーフ」のフレーズをロニー本人に弾かせようとしました。

じつは細野さんはこのフレーズをかつて一生懸命コピーしたことがあったんです。
本人ならいとも簡単のハズ。
(モヤさまで、蕎麦屋の二階にあった調律が狂ったピアノをさまぁ〜ずのリクエストで弾いたのはこれだったかも?
そういえば昔、教授が鬼瓦権蔵のメイクをして、たけしとさんまの前で弾いたのも、ニューオリンズ調のピアノでした)

ところが、ロニーから「それはプロフェッサー・ロングヘアのものだから」と拒否されたのです。

ニューオリンズでは、フレーズのひとつひとつにも、これは誰々のものだから、と
先達に敬意を表し、伝統を継承していたのですね。

おいそれと、他の曲に使ってはいけないことだった、と細野さんは学びました。

細野さんは一旦理解を示したものの、ここはニューオリンズではなく、東京であり、
いろんな音楽や文化が集まって混ざる場所だ。せっかくレコードを作るのだから
ここでレコードを作る意味を考えて、やろうよと説得し、録音に至ったという次第なんです。


うーん。この地場の伝統とのぶつかりあいのケースは、他にもありましたね。

たとえば、『オムニ・サイト・シーイング』89年の江差追分のカバーのとき。
このときは江差追分保存会みたいなのがあって、
細野さんは異端尋問にあったのでした(笑)

ようするに敬意を表してやってるのか、表層的に茶化してるだけなのかと。
思想チェックにあっちゃった。

このときは、民謡のこぶしと、
それと似た、クオーター・トーンという、半音の半音の音を出す
アラブのアコーディオンとの融合を試みたのでした。

結果は審査に通り、
逆に協会の人から、江差追分はこのままではまずい、硬直化してしまう、
細野さんにぜひ殻を打ち破ってもらって、なんとかして欲しい、
とまで言われました(笑)期待されちゃった。
はざまにあるもの。 ( No.56 )
日時: 2021/04/20 14:54
名前: ギーガ

こうして見ていくと細野さんはずっと、
マージナルなものに興味を示してることがわかります。

マージナル、境界、あいだ、はざま。

その中の、特に変わった、
「へんてこりんなもの」に魅了される傾向がある。

それは、国籍がないような。
地理的だったり、歴史的だったり、
音と音の「あいだ」だったり、
におい、香りだったりと。

ジャンルは人間が区別のために付けるわけですが
そういったジャンル分けができないようなもの、それに昔から惹かれています。

たとえば。

ニューオリンズは大陸で、ミシシッピ川河口でもって海に面し、
大陸と海のはざま、境界に位置すると。
海からは、中南米やカリブ海の島々からの音楽が入ってきます。

そこは、かつてフランス領だったのでフランス系の人のラテン文化や、
クレオールという、フランス人とアフリカ系黒人との混血人などの
異文化の出会いがあって、混交につぐ混交を生み
ジャズ、ファンク、セカンドラインなど様々な音楽が生まれました。

やがてその中で伝統が紡がれ、
ニューオリンズ独自の文化が出来ていったと、
そう細野さんはとらえたわけです。

ニューオリンズの音楽はアメリカにありながら、
アメリカでないもの、ともいえます。

やがて、細野さんは日本のジャマイカにあたるのはどこかな、
という発想をしていたところ、沖縄の音楽と出会いました。
(75年「ハイサイおじさん」。地元でヒットしたのは70年くらい)

で、沖縄にニューオリンズと同じリズムの特徴があることに気づいて
それは地理的条件がもたらすものじゃないかと、興味をもったと。

沖縄にはガンボならぬ、チャンプルーという、ごった煮料理がありますしね。

そこで、「ルーチュー・ガンボ」という曲を作ったり、

「アブソリュート・エゴ・ダンス」の間奏で逆相に
ニューオリンズ的なコロコロ転がるようなフレーズをしのばせたりしました。

音階の「はざま」の話でいうと。

民謡のこぶしが、たとえば「ド」の音と「ド♯」の音の間にも
音はあるわけで、それがこぶしの魅力だと。
同じようにアラブに半音の半音の音まで、弾けるアコーディオンがあったのを知って、
江差追分のカバーでこれらを混ぜてみたと。

それから、大陸がポップスで、海がアンビエントと比喩したとすると、
ポップスに熱中してきたものの、
やがて明解なメロディやリズムの反復がなく、拍子もないような
アンビエント音楽に興味をしめしました。ポップスの追及に飽きてたのでしょう。

ところが、再生YMOでは、まさにポップスとアンビエントの
あいの子のような音楽を目指しました。

※つくづく、このアルバムが当時すぐに全世界発売されなかったことは残念です。
日本での反応がイマイチでも、アメリカ、欧州など海外からの評価が是非知りたかったのでした。

さらに最近の話になりますが、コロナ禍直前に行われた細野さんのアメリカ公演において、
細野さんは、自分とほぼ同い年であるロックが生まれる前の
カントリーからロックンロールのあいだのような音楽を披露しました。

ロックが生まれる前は、白人のカントリーでも黒人のブルースでも、
ジャズでも、中南米の音楽でもない
それらの出会いで生まれた、
様々な可能性にみちた、今から聞けばちょっと変わった音楽が豊潤にあったと。

それをアメリカ人に、今までアメリカ音楽の産湯につかった日本人として恩返しとばかりに、
披露してみせたわけですね。

そういえば、そもそも自著『地平線の階段』79年ですでに、
自分はカニ座の生まれである。
カニは、海と陸のあいだの、海岸線にいる。
だから、自分は境が好きなんじゃないか、
どうしても境にある、へんてこりんな方が好きになっちゃう、
へんてこりんな方がどうしても好きになっちゃうのは業(ごう)かもしれないが
とユーモラスな筆致でもって自己分析されていましたね。


これは余談になりますが、
細野さんはそうした「はざま」のもの、
それへの他者の理解をうながすために、
必ずネーミングをしますよね! 名前をつける。言語化する。

ファンクとちゃんこ鍋(和風ごった煮ですね)が混ざって、チャンキー。
いや、日本人はなんでも醤油味だから、
醤油はソイ・ソースなので、ソイソース・ミュージック。
YMOは、白魔術でも黒魔術でもない黄色魔術。メタ音楽。メタマー。
国境を越えた、環境音楽ならぬ、観光音楽。オムニ・サイト・シーイング

などなど。

※いま、わたしはユキヒロさんの音楽を語る為に、細野さんを語っています。外堀から埋めていってます。
10年に1度ぐらい書いておかないと(笑)
「マス」のストリングス・パートのカバーを聴く。 ( No.57 )
日時: 2021/04/23 17:43
名前: ギーガ
参照: https://www.youtube.com/watch?v=Y4KaLryPdcc

オリジナルでは、奥に引っ込んでいて
音量が小さいので、ありがたいことです。


『YMOのONGAKU 』藤井丈司著2019年刊掲載の『BGM』のトラックシートを見て興味深いのが、
他の曲では32トラックすべて埋まっているのに、「マス」だけ、半分ぐらいしか使われていない点です。
『BGM』81年のTVCM。 ( No.58 )
日時: 2021/04/24 13:18
名前: ギーガ

ちなみに、YMOのアルバム『BGM』は1981年3月21日の発売です。
ロケッツ「イデオマティック」81年のPV。 ( No.59 )
日時: 2021/04/25 10:13
名前: ギーガ
参照: https://www.youtube.com/watch?v=Gr42j8Xhrvk

ロケッツは1974年に結成されたフランス出身のバンドです。

当時、イタリアやソ連で大変人気があったそうで(当地にしてみれば外タレのバンド)、
それは動画のコメント欄にある、「ロケッツ愛」にあふれる
イタリア語、ロシア語の文字でもおわかりでしょう(笑)

コメント欄によると、PVに出てくる救急車はフィアット238というイタリア車みたいで、
そういうところも彼らの心を鷲掴みにするようです(笑)
※ちなみに、ルパンがカリオストロの城で乗っていた黄色い車は同じくフィアット社の500。

この曲は、81年にリリースされた5枚目のアルバム『π3.14』に収録されています。
同じ、81年3月21日に発売されたYMOの「CUE」のドラム&TR808サウンドを
なんの屈託もなく、あからさまに使われちゃっていましたね。

また、お気づきになられましたか、この動画の最後の数秒には「LOOM」の上昇音も入ってましたね。
このことから、彼らはシングルでなくて、『BGM』を聴いていたことがわかります。

さらにいうと。

このPVのシチュエーションからすると、
日本で放映された『BGM』のTVCM(事故現場)
も観ていたのかもしれません!(笑) 

それともまったくの偶然の一致!?
ロケッツ「ビデオ・アディクト」81年。 ( No.60 )
日時: 2021/04/26 12:43
名前: ギーガ

こちらは「MASS」のドラムが使われちゃってるという(笑)

じつは、「ideomatic」とこの「Video-Addict」はアルバムではつながっているんです。
そのつなぎが「LOOM」という(笑) 渋いねコノ。

あ。くれぐれも、40年前の曲ですよ。


ロケッツにはシングルで、その名も「サムライ」75年という曲がありますので
日本に昔から関心があったフランス人がいるのは、間違いない、と。

そうすると、銀色スキンヘッドはもしかして、
「ジャイアントロボ」67年の敵役宇宙人、ドクトル・オーヴァ!?(笑)

https://plaza.rakuten.co.jp/jyoudankeri/diary/201511100000/
ウィンターライブ版「マス」の指ドラム・カバーを聴く。 ( No.61 )
日時: 2021/04/27 14:23
名前: ギーガ
参照: https://www.youtube.com/watch?v=gkB-6SudTpY

この指ヒロさんのすばらしい演奏によって、
ウィンター・ライブ・バージョンでは、
ユキヒロさんのドラムが細かく入っていたことに
気づかされますね。


『BGM』の中でも「MASS」は、唯一『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』の曲のような
構成とキャッチーなメロディとシークエンスがあることから大好きでしたし、
アルバム全体のバランスから、サービスで作ったんだろうなと思っていました。

YMOには、すでに運動会の徒競走にピッタリのアッパーな「ライディーン」がありましたから、
暗い行進曲のような「MASS」の曲調も、YMOの余裕のなせるワザで、ユーモアのあらわれだなと。

『BGM』の製作において、細野さんははじめ、教授に「千のナイフ」のような曲を作ってとリクエストしました。
(結局、オリジナル曲ではなくて、千のナイフのYMOとしてのスタジオ・カバーとなりました)
そうすればYMOファーストのアジア的な薫りが残ります。

また、「U・T」の間奏で、人を食ったような座談会があったり、
「ラップ・フェノメナ」で バカバカバカバカバカバカバカバカ とあるのも
『増殖』のような薫りを残すことで

プロデューサーとしては、あまりにもアバンギャルドに変わってしまった『BGM』に
これもYMOのアルバム、というニュアンスと連続感を出したかったのでしょうね。
再び「カムフラージュ」のギターカバーを聴く。 ( No.62 )
日時: 2021/04/28 12:25
名前: ギーガ
参照: https://www.youtube.com/watch?v=GQNL05eR9lc

昨年末に一度、ご紹介させていただきました。
素晴らしい解釈のカバーです。

まあ、再放送みたいなもん(笑)
1930年代のBBCのコントロールルーム。 ( No.63 )
日時: 2021/04/29 13:11
名前: ギーガ
参照: http://www.orbem.co.uk/bh32/bh32_8.htm

リンク先の、下にある「Dramatic Control Rooms」まで
ず〜っと、スクロールしていただきまして。





すると。




そ、そこには・・・



※ブログ「YMOとかPerfumeとかテクノ系?」で、教えていただきました。

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