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きっとうまくいく4
日時: 2018/07/26 21:46
名前: ギーガ
参照: https://www.youtube.com/watch?v=ujctGTdrbDw

今年も花火大会の季節がやってきました。

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マルティプライズのCOPYのレコーディング風景。 ( No.51 )
日時: 2020/12/27 12:24
名前: ギーガ
参照: https://www.youtube.com/watch?v=R1iBuDUpcmw

いろいろ興味深いですね。

マルティプライズは1980年4月25日にレコーディングに入っています。『増殖』のマテリアルとしてはジ・エンド・オブ・エイシアと並んで最後。
少し前に録音された「スイミングスクールの美人教師」に音色があれこれ似てるのも面白いですよね。

※ちなみにアルバム『音楽殺人』は2月7日〜4月2日の期間にレコーディング。
ユキヒロさんとしては『音楽殺人』の録音がすべておわって、例の写楽祭があって(笑)、『増殖』を録音の順なのですが
発売は『増殖』→『音楽殺人』の順になってしまったという。
マコとノンコのごきげんいかが1・2・3 ( No.52 )
日時: 2020/12/28 12:19
名前: ギーガ

あくまで私見ですが、秋元康さん(当時23歳)にとっては、この仕事がのちの伊武雅刀さんの「子供たちを責めないで」(82年8月)に繋がったのではないかと考えています。
サンディー 「ジミー・マック」のPV。 ( No.53 )
日時: 2020/12/29 10:53
名前: ギーガ

こんなのがあったんですね〜。

細野さんとしては、
1977年30歳になるということで趣味じゃなくミュージック・ビジネスの気持ちで初めて臨んだ
リンダ・キャリエールのプロジェクトが日の目を見なかったので
サンディーさんの『イーティン・プレジャー』80年でプロデューサーとしての雪辱を果たすぞ、という感じだったのではないだろうかと。
宝酒造 焼酎「純」80年のCM。 ( No.54 )
日時: 2020/12/30 12:34
名前: ギーガ

ユキヒロさんがナイス・エイジを
デヴィッド・ボウイ調の歌い方でキメていた1980年。

当のボウイは実は秘密裡に来日していて
この京都の酒造メーカーのCMを撮影していたのです!
詳細は「ボウイの隣にいた男たち 細見吉郎(宝ホールディングス元会長)」で検索してみてください。

でこのデヴィッド・ボウイの焼酎「純」のポスターが
偶然大島渚監督の眼に留まって映画『戦場のメリークリスマス』の起用につながるのはまた、別のお話(笑)

一方、ナイス・エイジでバックコーラスをつとめていたサンディーさん。
『イーティン・プレジャー』を発売して数年後の83年にデヴィッド・ボウイに会ったら「(このアルバムはいいから)パクられるので気をつけろよ」と絶賛されたと! 

『イーティン・プレジャー』は発売当時まったくと言ってもいいほど国内で反応がなく、
プロデュースした細野さんはまるで自身のソロにぐらい心血を注いだアルバムだったので、無視されてがっかりしていたそうですが
あのデヴィッド・ボウイから絶賛されたとサンディーさんから聞いて、感激したそうです。うれしかったでしょうねえ。

しかもボウイはサンディー&ザ・サンセッツの世界進出にも尽力したとのこと!

詳しくは
『評伝デヴィッド・ボウイ』吉村栄一著
をお読みになってみてください。ほかにもYMO関連のエピソードがいっぱい出てきます。
ファイヤークラッカーのマリンバカバーを聴く。 ( No.55 )
日時: 2020/12/31 12:21
名前: ギーガ
参照: https://www.youtube.com/watch?v=JzqxqdFSid0

リモートだと難しそう。
楽しそうに演奏しているのがイイ! 
有吉弘行さん。 ( No.56 )
日時: 2021/01/02 12:12
名前: ギーガ

いまから6、7年前、有吉さんがパーソナリティをつとめるFMのラジオ番組でのこと。

あるコーナーでリスナーからのネタ投稿を有吉さんが読み上げていました。
ところがどうも、コーナーの回がますにつれ、読んでも読んでも有吉さんにとってはスカしてるというかひねりすぎというか、
ゲラの有吉さんの爆笑をとるものが少なくなっていったのです。
まあ、有吉さんのフラストレーションがたまってイライラしてくさまも妙にリスナーとしては面白かったんですけどね。

そうしたら有吉さんが読むのを急に止め、
一呼吸おいて、リスナーに諭すように落ち着いた口ぶりでおっしゃったのですよ、

「おまえら、俺はYMOだからな。」

と(笑)

エッ!? ナニ!? 有吉さんの口からYMO〜!

そのときの有吉さんとしては
YMOは音楽の事なら何でも知っている。それと同じように、俺も○○のことは何でも知ってるのだから、
小賢しいことはしないで〇〇についての初期衝動を送ってこい!
(=デモテープ送って来い)
という意味合いで使ったのですよ(笑)

○○はなにかは置いておきまして(笑)
そこに固有名詞で“YMO”の名前を出すかね、
有吉さんにとって“YMO”ってどういう認識? 
どの曲が好き?
と俄然興味がわきまして
それからずっとラジオを聴いていますが、
・・・ひとっことも話題にでてきませんっ!(笑)ここに書き込む気マンマンでいたのにっ。

なので、まあ、有吉さんが聴いているミュージシャンか誰かがYMOのどこが凄いか語っているのを聴いて
YMOに関するイメージをインプットしていたんじゃないか、と今は思っています。

その実際の音声を聴くことは、その頃あったそのコーナー名と、
アシスタントがデンジャラスの安田(さん、な)だったので、特定できるはずなのですが。
キリンビア樽83年のCM。 ( No.57 )
日時: 2021/01/03 12:01
名前: ギーガ

83年胸キュンのCMと同じかちょっと後だけ後に放映されていたCMです。

確か、YMOの3人にもともとオファーがあったのです(笑)

当時情報誌で細野さんが言ってました。
ホンダCRX84年のCM。 ( No.58 )
日時: 2021/01/04 12:26
名前: ギーガ

この「Spending silent night」は
サロンミュージックの曲です。
ファーストアルバムに入っていて、
次のセカンドアルバムをユキヒロさんがプロデュースしています。

でそのサロンミュージックの吉田仁さんは
のちに小山田圭吾さんのフリッパーズギターのプロデュースをします。

「プロデューサーといえば親も同然」なら
親の親。・・・ということは(笑)
トヨタMR2(90年)のCM。 ( No.59 )
日時: 2021/01/05 12:59
名前: ギーガ

ストレートに英語詞でカッコいい「Fait accompli」。
映像にマッチしていて(この時代ですからまだCGじゃないんですよ!タイミングをあわすのに撮影大変だったでしょうね)
サビのベースラインはAre You Receiving Me?っぽくて、オブリガードがお、以心電信っぽいなと思いましたね。

「1%の関係」とのカップリングでシングルCD買いました。・・90年からシングルCDの時代になったのですね!
マツダファミリア89年のCM。 ( No.60 )
日時: 2021/01/06 12:29
名前: ギーガ

トヨタMR2の前年には
マツダ・ファミリアのCM曲、再結成サディスティック・ミカ・バンドの「BOYS&GIRLS」がありました。
シングル盤買いました。

CMの映像は1969年のイギリス映画『ミニミニ大作戦』を彷彿とさせるもので。

桐島かれんさんをゲストヴォーカルに迎えた、
再結成ミカバンドの音楽製作の雰囲気というのは
そのちょっと前に出たキース・リチャーズの初ソロアルバムと、
オリジナル・ミカバンドではさほどではなかった(YMO通過後の)ユキヒロ色
の二つの柱があったと思います。

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